少々早いですが、今年最後の国政報告をお届けします。一年を振り返ってお話しをさせて頂く機会が何度かあったのですが、なかなかまとまった内容になりません。8月5日に復興副大臣を拝命した前と後で活動内容が大きく変化したことが原因です。
今年の前半は、党政務調査会の総務部会長としての仕事が主体で、総務省関係の法案やNHK予算案の党審議を円滑に進めるよう努力しました。また、北海道と沖縄の特別委員会の事務局長として、両地域の様々な懸案の解決に取り組みました。さらに、当時の堂故文部科学大臣政務官と気脈を通じ、文化伝統調査会事務局長として「文化GDP」を提唱し、文化財を核とした地域づくりを提唱しました。小泉農林部会長に誘われての農林骨太PTでの毎週金曜朝の議論や、財政再建特命委員会の2020年小委員会での「レールからの解放」と題した提言の打ち出しなど、今振り返ると随分前の出来事のように思えます。農林と財政の仕事は道半ばで離れてしまいましたが、その後も小泉代議士達が頑張って、年末には農政改革や新年度予算編成において、私たちの議論のエキスを形にしてくれ、とても嬉しく思っています。
8月以降は、復興副大臣としての仕事が主となり、臨時国会でも東日本大震災復興特別委員会で答弁に立ちました。被災地には合計15回の訪問となり、岩手・宮城・福島の太平洋沿岸をはじめとする関係42市町村中、大船渡市を除く41箇所で首長と面談できました。今年最後の出張は、21日(水)朝に東京を新幹線で出て、郡山経由で福島第一原子力発電所を訪問しました。以前は広野町の「Jビレッジ」での受け付けでしたが、今秋から富岡町の施設に変わり、発電所までの距離が大きく短縮されました。構内では、新たに設けられた新事務棟の食堂で作業員の方と同じ昼食を頂き、以前よりは軽い装備でバス車窓から廃炉・汚染水対策の現場を見せてもらいました。途中、高台で降車し、第1~4号機建屋を陸側から肉眼で見る事ができました。
4号機に続き、現在は3号機の使用済み燃料のプールからの取り出しに向けて努力している事、建屋周辺を凍土壁で覆って汚染水の発生量を減らす努力をしている事、構内敷地を舗装するなどして線量低下を図っている事など説明頂きました。人間の叡智で状況を一歩づつコントロールすべく日々前進している皆さんの営みに強く感銘を受けました。我々も事故収束に向けて努力を続ける決意です。
郡山で一泊しての翌22日(木)は、広野町のふたば未来学園を訪問の後、浪江町の「まち・なみ・まるしぇ」で昼食を取り、双葉町で伊澤町長さんのご案内で、双葉駅周辺を含め、帰還困難区域を拝見しました。新たな政府の方針で、特定復興拠点(仮称)として除染・家屋解体など環境整備を進めようという箇所を確認し、相双地域の全ての市町村が帰還可能となるよう努力せねばと強く思いました。帰路、葛尾村を訪問し、篠木新村長と面談しました。小学校の再開を平成30年4月に1年先送りされ、それまでに何としても帰村者を増やしたいとの強い想いを受け止めました。
このような被災地の課題を解決すべく、新年度予算は、総額1兆8153億円で、風評の払拭、人材不足への対応を含め、努力して参ります。来る平成29(2017)年が良い年となるようお祈りしながら、今年最後の報告と致します。