2018年10月

国政報告(第449号)

 猛暑、台風と激しい夏をもたらしたお天気も最近はすっかり秋らしくなり、東京も銀杏が次第に色づく毎日です。臨時国会も始まり、会館、議事堂、復興庁を行き来しながら仕事を進めています。

 先週末は18日(木)の夜に富山に戻り、19日(金)の朝、富山市で開かれた第26回全国消防操法大会の開会式に出席しました。各県代表の消防団の精鋭が集う本大会は、2年に一度、地方で開催されており、高野県消防協会長(現県議会議長)や県庁が誘致に努められました。私も党政調の総務部会長として、当時は各方面への要望に同行しており、県代表の砺波市消防団庄下分団がポンプ車の部で準優勝した事と併せ、嬉しい日でした。その後、南砺市に向かい、田中市長、武田県議ほか県・市の皆さんと金沢福光連絡道路の現道を実地で見学しました。福光地区から太美山地区・刀利ダムを経由し、金沢市の湯涌温泉近くへ抜ける本路線は、県境前後の幅員が狭く、冬季は通行止めとなる状態です。南砺・金沢両市の関係者が通年の往来を可能にするべく、バイパス等の整備を求めて長く運動を続けておられ、一度現状を確かめようと伺った次第です。刀利ダムから先は石川県・金沢市の関係部局に案内頂き、沿線自治会の皆さんにもお会いしました。まずは円滑な対面交通に資する退避場所の整備から進めるとする富山県の新方針を一歩前進と受け止め、粘り強く取り組んでいきます。夕刻には、県経済同友会例会にて北海道開発庁時代の上司の小磯修二さんが講師で来県され、地方創生をテーマとした講演を拝聴し、歓談の機会を得ました。

 20日(土)は翌日告示の氷見市議会議員選挙に我が党推薦で立候補予定の14陣営を堂故参議院議員、四方・薮田両県議とともに激励しました。21日(日)は高岡市吉久地区の「さまのこアート」の催しに顔出しの後、四方県議の後援会総会に出席、来春の県議選に向け、八嶋浩久氏へのバトンタッチが承認されました。

 22日(月)は早朝から宮城県へ2度目の出張となり、渡辺大臣に随行して名取市閖上地区東松島市野蒜地区女川町中心部石巻市門脇地区新蛇田地区と4市町を訪問、各首長に1年ぶりにお会いしました。いずれも住まいの復興が進展して最終段階を迎えており、新たなまちづくりへの意気込みを伺うことができました。石巻では、災害公営住宅で町内会づくりに取り組む皆さんのお話も聴き、コミュニティ再生支援の取り組みの必要性を確認しました。その後、大臣と別れて仙台に戻り、宮城県市長会の佐藤会長(塩竃市長)、菊地多賀城市長、大友角田市長のご要望を受けました。

 24日(水)に第197国会(臨時会)が召集されました。開会式後の安倍総理の所信表明演説では、「創造と可能性の地」としての東北を創り上げていく決意が述べられました。復興庁の一員として、その実現に努力していきます。

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国政報告(第448号)

 週明けの15-6日(月-火)と、復興副大臣着任後初めて宮城県を訪問しました。現場を訪ね、課題を把握し、解決に務めるという仕事の基本線で取り組んでいきます。

 先週末に復興庁で各担当の業務の現状について一通り説明を受け、12日(金)夜に富山に戻りました。13日(土)朝は高岡市吉久地区に㈱高岡市衛生公社が整備された「TEKリトルパーク」のオープニングに出席しました。万葉線㈱に残されていた、戦後間もなく活躍した5000系電車を引き取り、見事に修復、展示に至ったものです。この電車は、廃線されてしまったかつての射水線も通って、高岡と富山を往復していた花形です。現役を退いてからは除雪車として活用された後、廃車状態となっていました。朽ち果てさせるのは惜しいと関係者から声が上がっていた所、衛生公社さんにて引き受けられ、JR関係者の協力を得て昔の姿に戻して頂きました。併せて、公園の前面は道路の拡幅に協力され、吉久電停が安全な島式に整備されました。吉久地区の街並みが、国の重要伝統的建造物群の指定を目指している折、民間の力で地域に名所ができ、安全も確保されたことは嬉しく、感謝の挨拶をさせて頂きました。夕刻は、酒井県議の集会に出席し、来春の県議選に向けて皆で激励しました。

 14日(日)は新湊かにカニ白えび海鮮祭り陸上自衛隊富山駐屯地56周年記念式典国道471号利賀大橋竣工式など顔を出し、15日は大宮で北陸新幹線から東北新幹線に乗り換えての東北出張となりました。初日は宮城県南三陸町気仙沼市、2日目は仙台市亘理町利府町と庁舎を訪問し、村井知事始め各首長さん方にお会いしました。1年2か月ぶりの宮城県でしたが、この間に復興が着実に前進し、とりわけ仮設住宅に避難を余儀なくされている方が2千人台となるなど、「目に見えて」進んでいる事を実感しました。要望でも、復興庁の設置期限の平成32年度末以降の住民のケアや産業振興などソフト系の取り組みへの国の財政支援継続を求める声が強く出ました。三陸縦貫道路も南三陸町から気仙沼市へと供用区間が伸び、昨春に本設のオープンに立ち会わせて頂いた南三陸さんさん商店街の来店者数が早くも100万人を突破するなど、復興から新たなまちづくりへと前進する姿に感銘を受けました。一方、防潮堤などこれから工事を進捗させなければならない個所もあり、気を抜くことなく、事業全般の状況把握に努めたいと思います。「復興五輪」に向けては、サッカーの会場となる利府町から、県内市町村のPRブース設置の提案があり、大会運営上、許容されること、されないことのガイドラインを早期に示してほしいと要請を受けました。このように、被災地の現場から出てくる情報を庁内で共有し、対処していきます。

 臨時国会の24日(水)召集が確定しました。来週からは議事堂の中の動きも併せてお伝えしていきます。

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国政報告(第447号)

 本号からは、復興副大臣としての国政報告となります。まずは5日(金)に官邸で安倍総理ほか各閣僚がメンバーの第21回復興推進会議に出席しました。復興の現状が報告され、更に加速化に向けて努力することとされました。次いで復興庁にて土井前副大臣との新旧交代式に臨みました。昨年8月に渡したバトンを再び受け取ることとなり、土井前副大臣の尽力に感謝しつつ、各省庁に横串を刺す復興庁の機能を大いに発揮して頑張っていこうと、幹部職員の皆さんに挨拶しました。大伴家持卿が越中国司として赴任して最初に詠んだ歌、「秋の田の 穂向き見がてり 吾が背子が ふさ手折りける 女郎花(をみなえし)かも」を朗唱し、仕事に入りました。

 主担当となる宮城県など現地への出張は準備を整えて、ということで、5日夜に地元に戻り、6日(土)は高岡市伏木で恒例の大伴家持卿顕彰祭に参列し、29回目を迎えた万葉集全二十巻朗唱の会に参加するなど、万葉集一色の日になりました。家持卿は現在の宮城県多賀城市で生涯を終えており、菊地市長さんとは私の市長在任中からのお付き合いがあります。復興の仕事は家持卿のご縁とも感じています。心配された台風25号の影響もあまり大きくないまま、明けて7日(日)は射水市で県看護連盟の集会に出席し、来年夏の参議院選挙に比例区で再選を目指す石田昌弘参議院議員の講演を聴きました。看護師の皆さんの働き方改革について、具体的な例を挙げたお話が心に残りました。祝日の8日(月)は富山市で県私立幼稚園・認定子ども園大会税理士政治連盟の国政報告会に出席するなど、久しぶりに地元の空気をいっぱい吸い込みました。

 9日(火)朝に上京し、復興庁での所管事項説明が始まりました。昨年8月以来の動きをフォローし、党に戻っていた間の変化の把握に努めています。ハードの整備は着実に進んでおり、住まい・なりわいなどソフト面の課題も時間の経過に伴い変化しています。「新しい東北」という、創造的復興の実が挙がるよう、また、本格的復興の時期に入ったとされる福島での諸事業の進捗を図っていきます。この間、10日(水)には高岡市の高橋市長、狩野議長、11日(木)には南砺市福光南部地域の皆さんが激励に訪問下さり、元気を頂きました。また、10日夜には国土交通省富山県人会の集いがあり、綿貫先生、野上副長官、石井知事ほか県庁の皆さんとご一緒しました。東北地方整備局に復興事業の執行面で尽力頂いていることに御礼を述べました。

 一方、臨時国会は24日(水)召集の見込みとなり、政府では今夏の水害や北海道胆振東部地震への対応と学校の冷房設置・ブロック塀対策を主体とする補正予算の編成が進められています。私たちも、衆参の復興特別委員会での所信質疑への心積もりなど、国会での議論への準備を含め、仕事を進めていきます。

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国政報告(第446号)

 9月にほぼ一か月間滞在した沖縄県那覇市を台風24号接近に伴い、27日(木)の夜に空路出発し、佐喜真選対に詰めた毎日が終わり、候補の勝利をひたすら願って週末を過ごしました。しかし、30日(日)夜の開票結果は316千票を獲得したものの、相手候補に8万票の大差をつけられての厳しい敗北となりました。与党・維新支持層をがっちり固めて取り込む戦略は、「無党派層、女性、高齢者」へのアクセスが不足する結果となり、私自身も相手の運動の実態も捉えられない選挙戦となった点、猛省しています。元来、私たちを支持頂いている関係先ばかり接触・お願いしたため、そうでない立場の方に会うことがほぼ無く、相手方優勢との世論調査の結果も信じないままに投票日を迎えてしまったこと、悔やまれてなりません。同日選挙となった宜野湾市長選で、佐喜真氏後継の松川前副市長が当選したのがせめてものプラス要素でした。

 台風一過の10月1日(月)、出身校である富山県立高岡高校の創立120周年記念式典・関連事業に参加して、2日(火)に上京しました。同日発足した第4次安倍改造内閣では、宮腰県連会長が沖縄・北方ほか担当大臣として初入閣され、野上官房副長官が留任となりました。富山県選出国会議員の大臣就任は13年ぶりで、担当分野も一億総活躍、消費者行政、行政改革など多岐にわたり、縦横無尽のご活躍を期待する次第です。

 私自身は、今回の人事に当たり、国会対策委員会を第一希望として申告しましたが、3日(水)夕刻に菅官房長官から電話があり、復興副大臣への再任を要請され、即刻受諾しました。平成21年の初当選以来、人事については命に従うことを基本にしており、自分の頭の中を急遽沖縄から東北に切り替える事になりました。4日(木)朝10時15分に官邸に集合し、他の副大臣と一緒に皇居での認証式に臨みました。次いで、午後1時30分からの副大臣会議があり、復興庁へは1年2か月ぶりに午後4時30分に登庁、渡辺大臣から「総括・宮城・復興五輪担当」との指示書を頂き、昨年8月以来の「復興庁での毎日」がまた戻ってきました。

 東日本大震災から7年半が過ぎ、岩手・宮城の地震・津波被災地域では、ハード面での復興事業は「仕上げ」の局面にあります。前回、副大臣に就任した際に14万8千人を数えた避難者が5万7千人に減少し、岩手・宮城では仮設住宅の解消が着実に進んでいます。一方、東京電力福島第一原子力発電所の事故に起因する放射能汚染に見舞われた福島県では、浜通りの復興がようやく「本格化」する段階にあります。このような被災地の現状に鑑み、被災された方々に寄り添う「現場主義」を基本に、2021年3月の復興庁設置期限後の行政の在り方も考えながら、心新たに緊張感を持って任務に当たる決意です。引き続きよろしくお願い致します。

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