年の瀬が近づき、一年を振り返れば、2月は予算委員会で今年度予算の審議が連日続き、春は議員立法の根回しに議員会館を飛び歩き、新潟県知事選、8月の中国と東南アジア訪問、9月の沖縄県知事選での那覇20泊と総裁選、10月からは2度目の復興副大臣と、活動の内容も舞台も激しく変化した「忙」の年でした。郵政法案など達成感のある仕事もできましたが、普天間基地の移設問題を抱える沖縄で、数年間親交のあった佐喜真前宜野湾市長の知事当選を成就できなかった事は痛恨で、自分自身の選挙運動の総括もできぬままの年越しです。沖縄の振興は、宮腰大臣や小渕優子党沖縄振興調査会長に努力頂いており、私も再度関わる事を心に誓いながら、今は東北の被災地の復興を前進させる使命に全力投球の立場です。
前号に続き、今年最後の16-17日(日―月)の岩手県出張を報告します。初日は午後に新幹線で東京を発ち、新花巻駅で下車、岩手復興局の皆さんと釜石に向かい、野田市長ほか市の皆さんと懇談しました。漁業と鉄鋼業の街であり、県外からの移住者も多く、富山県では朝日町と深い縁があるそうです。新日鉄の生産縮減に伴い、人口が減っていた所へ大震災が起きた訳ですが、市街地の復興はほぼ完了しています。鵜住居地区にはラグビー場が整備され、来年のラグビーワールドカップの公式戦開催に向けて準備が進んでいます。
17日は、復興道路として急ピッチで建設が進む三陸縦貫自動車道を利用し、まずは大船渡市、陸前高田市を訪ね、宮古市まで北上した後、山田町、大槌町と役場を訪問しました。いずれも1年半ぶりですが、住まいの復興は着実に進んでいました。陸前高田市と2町の中心部は、土地の嵩上げや区画整理を待って土地の引き渡し、住宅再建へ進んだため、前任の時は建物もまばらな状態でしたが、今回は家屋も連坦し、町らしさを感じました。居住に適さないとして住居が移転して出た土地の活用策が復興終盤の課題として提起されています。宮古市では「Fw:東北(フォワード東北)」という復興庁の情報発信イベント(岩手県と共催)で主催者挨拶をしました。会場の「イーストピア宮古」は、宮古駅に隣接する市役所・保健センター・市民交流センターの複合施設で、10月に供用されたばかりです。来春には宮古・釜石間の旧JR山田線が三陸鉄道線として復旧するなど、地域発展のいぶきを感じ取った次第です。
18日(火)には渡辺大臣から「復興・創生期間後も対応が必要な課題の整理」が公表され、これを元に復興庁設置期限(平成32年度末)後の組織・事業の在り方を検討していきます。21日(金)には新年度予算案が発表され、先に決まった税制改正案と併せ、来年度に向けた準備が整いました。26日(水)からは富山で過ごし、国政報告は一週間のお休みを頂き、次号は1月10日(木)でお願い致します。良いお年をお迎え下さい。