2019年5月

国政報告(第478号)

 ここへ来て最高気温が30度を超える日も出て、先日までの肌寒さに比べ、梅雨入り前での変化の激しさに驚かされます。復興庁の仕事では「復興五輪」海外発信プロジェクト関連の仕事が続いています。24日(金)の夕刻はフィンランド大使館の国交樹立100周年記念レセプションに出席し、28日(火)は午後から宮城県に出張し、復興庁主催の在京大使館関係者の宮城ツアーの夕食懇談会で熊谷利府町長にも出席頂き、参加された方々の感想を伺いました。このツアーは岩手県、福島県でも順次予定しており、発災から8年余の被災地の現状に直に触れて頂き、復興五輪への機運の盛り上げや風評払拭につなげようとするものです。宮城へはアンゴラ、モルディブ、リトアニアの大使、アゼルバイジャン、スロバキア、ハイチの大使館スタッフに参加頂きましたが、復興の進捗への評価や、災害への対応策を母国で活かしたいとのコメントがありました。

 一方、25日(土)は富山で党県連の定期大会に出席したほか、県栄養士会党福野支部砺波支部大門支部の総会にも顔を出し、先の統一地方選の御礼と併せ、7月の参議院選挙へのお力添えをお願いしました。夕刻には大相撲夏場所14日目での県出身力士、朝乃山の幕内初優勝が決まり、各会場が大いに沸きました。最終のはくたかで上京し、26日(日)は在京当番で、米トランプ大統領の来日で警戒態勢が敷かれた都心で1日を過ごしました。

 28日の衆議院本会議では、内閣提出の「児童虐待防止対策の強化を図るための児童福祉法等の一部を改正する法律案」が、厚生労働委員会での与野党協議による一部修正を受け、全会一致で可決されました。重要法案について、十分な審議がなされ、各党の納得する形で子供たちの安全対策が強化されたことは喜ばしいことです。しかし、同日朝、川崎市多摩区の路上で登校中の児童・保護者の方々19人が殺傷され、うち2人が亡くなられる悲しい出来事がありました。理由無く無差別に危害を加える行為に憤りを感じ、被害に遭われた皆様にお悔やみとお見舞いを申し上げます。

 宮城出張の2日目となった29日(水)の朝は、仙台市で「みやぎ心のケアセンター」を訪問し、被災された方々の様々な心の問題を支援している活動の内容を伺いました。住宅など施設面では復興の進捗が見られる地震・津波被災地域でも、一人暮らしの高齢者や、生活にご苦労のある方など、精神面でのケアが必要なケースが残っており、複雑化する傾向にあるそうです。センターでは自治体の福祉・生活部局などと連携し、被災された皆さんが取り残されないよう相談、訪問、研修など多面的に活動されており、復興・創生期間(令和2年度末まで)を超えて国・県の支援を要望されています。前号では岩手出張について報告しましたが、今回も石巻市での亀山市長との意見交換を含め、「現場主義」の大切さを再確認しました。

カテゴリー: 国政報告 |

国政報告(第477号)

 通常国会の会期もあと1か月となり、内閣提出案件の審議も順調に進み、来週中には大方参議院に送付できる情勢です。この間、衆議院の解散・ダブル選挙について政府・与党首脳部の発言が相次ぎ、政治報道の中心を占めている感があります。私は、10月の消費税10%への引き上げは、ここまで準備が進んだ段階では実施すべきであり、国民に問うべき重要な政策変更が無い以上、解散は無いと考えます。復興副大臣の職責を務め切ることを第一に臨みます。

 渡辺大臣の主導で進めている在京大使館訪問活動(「復興五輪」海外発信プロジェクト)の一環として、週末の17日(金)はボツワナ20日(月)はシンガポール大使館に伺い、大使と面談しました。ボツワナは、総務大臣政務官を務めた折に、我が国の地上デジタル波放送の技術を採用頂き、2度訪問しています。シンガポールは以前から大使館職員と交流があり、昨年夏は予算委員会視察で訪れるなど、両国とも個人的にもご縁があり、大震災からの復興支援や農産物輸入規制の緩和(シンガポール)の御礼と併せ、被災地の復興の現状をお伝えする機会を得ました。

 地元では、18日(土)に党第三選挙区支部幹事会高橋高岡市長後援会総会、19日(日)に党福岡支部総会上平支部総会などに出席し、週明けの21-23日(火-木)は20回目の東北出張で岩手県・宮城県に伺いました。主要用務は、復興五輪の取り組みとして、21日午前に盛岡市で開催される予定だった「旧国立競技場炬火台除幕式・点火式」への出席でしたが、悪天候で行事が中止になりました。このため、午後、盛岡市で整備された県営災害公営住宅の見学から始め、復興支援道路として建設が進む宮古盛岡横断道路の新区界(くざかい)トンネルの工事現場に伺いました。昨年1月に貫通したトンネルの総延長は4,998mで、令和2年度予定の宮古盛岡横断道路整備完了時には、宮古~盛岡間の所要時間が約30分短縮されるそうです。三陸沿岸では、大槌町の浪板海岸の砂浜再生事業現場に立ち寄りました。翌日見学した釜石市の根浜海岸とともに、大震災前は白砂青松の海水浴場として賑わっていたのが、地震・津波で砂浜が消失し、復旧が強く要望されていたものです。関係者の努力で、復興・創生期間中に再生できる見込みです。

 山田町で宿泊し、22日は釜石市鵜住居で、野田市長にご案内頂き、駅前に整備された「うのすまい・トモス」で大震災の記憶や教訓を伝える「いのちをつなぐ未来館」を見学し、ラグビーワールドカップの試合会場となる「釜石鵜住居復興スタジアム」に立ち寄りました。午後は、岩手大学釜石キャンパスで水産システム学コース開設による復興支援の現状を伺い、陸前高田市に移動して、広田湾遊漁船組合の海中での飲料熟成のユニークな試みの説明を受けた後、戸羽市長・伊藤議長のご案内で区画整理後の土地の利用状況を確認しました。商業施設「アバッセたかた」周辺、高台の今泉地区とも、2年前に比べ、着実に建物が増えており、低地部の農地では今季から稲作が再開されるなど、復興・まちづくりの堅実な歩みを感じました。被災地の区画整理後の土地について、利用率の低さが指摘されることがありますが、インフラの整った街の中心部の土地は、将来に発展可能性を残すものでもあり、中長期的に息長く活用を図っていくべきと考えます。

 仙台市で一泊の後、23日午前は宮城県市長会の佐藤会長(塩釜市長)、伊藤副会長(大崎市長)から、応援職員派遣、復興庁後継組織、観光振興などについて市長会の要望を受けました。今回の出張では様々な事業箇所に立ち寄ることができ、これからの復興の取り組みに有益な情報を頂きました。これを糧に努力を続けます。

カテゴリー: 国政報告 |

国政報告(第476号)

 5月も半ばとなり、議員会館の窓外に見える銀杏並木の緑もいつしか濃くなってきました。先週の8日(水)には、高岡市立南星中学校、五位中学校の皆さんが修学旅行で国会見学に訪れました。9日(木)は、令和最初の衆議院本会議が開かれ、新陛下即位に対し、賀詞を奉呈することに全会一致で決しました。この日は、前日の富山県議会(組織議会)を終えて、党県連の新役員の皆さんも党本部等へ挨拶のために上京されました。統一地方選後の新体制で、引き続き宮腰会長を先頭に、7月の参議院選挙に勝利すべく決意を新たにしました。10日(金)も衆議院本会議があり、内閣提出案件の処理と併せて、「児童虐待防止対策の強化を図るための児童福祉法等の一部を改正する法律案」の趣旨説明・質疑を行いました。6月26日(水)の会期末に向けて後半国会が始動しています。

 11日(土)の在京当番を済ませ、12日(日)は朝一番の新幹線で富山駅に降り、党県連の常任顧問会議、支部長・幹事長会議堂故先生の参議院選挙事務所開きと日程をこなし、夕刻は党射水市大江支部総会に顔出しの後、地元の高岡市定塚校下連合自治会総会に出席しました。被災地を巡っていて大切に思われるのは、地域の住民の皆さんのコミュニティ組織の果たす役割です。平常時は当たり前の向こう三軒両隣のお付き合いが、仮設住宅への避難、恒久住宅への転居を通じて組み直しとなり、新しい顔触れで近所付き合いを始めていく事の大変さをつくづく感じます。「心のケア・復興」が最後まで大切だとされるゆえんです。そんな思いで、出席されている自治会長さん方に感謝の念をもってひと時を過ごしました。

 13日(月)からは永田町の毎日に戻っていますが、目を海外との関係に転じると、我が国を取り巻く情勢も慌ただしい変化の中にあります。日米間では、新たな貿易協定締結に向けた交渉が熱を帯びてきました。TPP、日EU・EPAと成果を挙げてきた我が国が米国とどのような水準で折り合うかが課題です。日中間は一時の冷え込んだ状況から平常モードに戻り、今後首脳の往来も期待されます。日露関係は、北方領土の扱いを巡って交渉の行方に予断を許さず、日韓関係は、慰安婦・旧朝鮮半島出身労働者問題の出口を見出すことが困難な状況で、東電福島第一原発の事故に起因する食品輸入規制の緩和も進んでいない現状です。日朝関係は、米朝交渉の推移の中で、北朝鮮が短距離ミサイル発射を再開する展開の中、首脳会談の可能性を探る現状です。かねてより日本と近隣の6か国の関係が外交の基本だと述べていますが、それぞれに目が離せない状況です。

 一方、東日本大震災からの復興についても、地震・津波地域のハードの完成、心や生業などソフト面の手当て、原子力災害地域の避難解除、帰還促進、風評払拭、福島第一原発の廃炉、汚染土壌の処理など課題は目白押しであり、解決に努力を続けます。

カテゴリー: 国政報告 |

国政報告(第475号)

 5月1日(水)をもって、新天皇陛下が即位され、平成から令和へと元号が変わって最初の国政報告をお届けします。3月、4月と東日本大震災からの復興についても、三陸鉄道の全線開通など明るいニュースが相次ぎました。これからが正念場の福島県でも、大熊町の大川原地区等が避難解除となり、全町避難は双葉町を残すのみとなりました。7日(火)には新庁舎も業務開始となる一方、復興庁福島復興局でも支所が南相馬から浪江へ、また、いわきから富岡へと旧避難区域に移転しました。令和の世の中でも、復興をさらに前進させるべく、渡辺大臣の掛け声の下、努力を続けます。

 さて、この十連休初日の4月27日(土)は、地元で党南砺市連利賀支部の総会に出席しました。折から「寒の戻り」で雪も舞う中、新元号にちなんで万葉集巻五の「梅花の宴」で詠まれた歌32首から1首紹介して挨拶させてもらいました。次いで28日(日)は小杉支部の総会に出席の後、新幹線で上京し、29日(月)は在京当番を務めました。30日(火)は、夕刻、皇居(松の間)にて「退位礼正殿の儀」に妻とともに参列しました。安倍総理のご挨拶に続き、現上皇陛下から、天皇陛下として最後のお言葉があり、国民の皆様への感謝の想いとともに、新たな御代が平和で実り多くあることを祈念する旨、ありがたく拝聴致しました。

 明けて5月1日は、前夜の雨も上がり、朝、再び皇居(松の間)に出向き、「即位後朝見の儀」に妻とともに参列しました。新陛下から、上皇陛下の歩みに深く思いを致し、憲法にのっとり日本国および日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓う旨、お言葉があり、清新な気持ちで拝聴しました。次いで、安倍総理から祝意のご挨拶がありました。この二つの宮中での行事は、認証官である副大臣も、大臣や衆参両院の議長・委員長等とともに出席の栄に与かる立場となり、歴史的瞬間に立ち会わせて頂ける機会を頂戴したこと、幸せに思っております。永く支援頂いている選挙区の皆様にも改めて感謝申し上げます。

 2日(木)は在京当番をこなし、3日(金)の朝に富山に戻って4日(土)は新元号に因んだ中西進高志の国文学館長の「万葉集とその未来」と題した記念講演を富山市にて拝聴しました。5日(日)は東京で連休3度目の在京当番、6日(月)は今一度富山で過ごし、十連休を終えました。実はこの間、ウイルス性の風邪(インフルエンザではありませんが)に見舞われ、発熱、下痢、咳、痰、鼻水に悩まされました。前半国会の疲れがまとまって出た感もありますが、健康管理の大切さを再認識し、今後、心していきます。

 7日(火)朝に上京し、復興庁、議員会館、国会議事堂等、いつもの毎日が戻ってきました。被災地の農林水産物の風評払拭など連休前からの課題への取り組みを含め、頑張っていきます。

カテゴリー: 国政報告 |