前号でお知らせした通り、国会開会中ではありましたが、皆さんのご了解を得て、総務省の用務にて南部アフリカのアンゴラとボツワナに一週間出張してきました。3月31日(日)の夕刻に桜の成田を発ち、香港で乗り換えて13時間半、南アフリカ共和国のヨハネスブルグに1日(月)朝(現地時間)到着しました。ここでさらに飛行機を乗り継いで、最初の訪問国、アンゴラの首都ルアンダにはお昼過ぎに着きました。
私にとって初めてのアフリカの印象は、広い大地、青緑色の大西洋、赤茶色の大地、強い日光と汗ばむ蒸し暑さ、そして椰子等の南国の街路樹でした。アンゴラはポルトガルの植民地から1975年に独立しましたが、2002年まで内戦が続き、その後は石油の産出で経済が急成長しています。お世話になった現地大使館の車には、白バイの先導が付き、車が渋滞する街中をかきわけるようにして移動しました。経済成長に社会基盤が追い付かず、港は船混み、鉄道は無く、道路は大渋滞で、物流の改善が急務です。とはいえ、国の活力が街の喧騒に顕れており、将来の飛躍への期待を感じました。
今回の出張目的は、我が国の地上デジタル放送方式(ISDB-T方式)を南部アフリカ地域で採用するよう働きかけるもので、その旨、安倍総理の親書を持参しての旅でした。先に南アメリカでは、2006年にブラジルが採用したのをきっかけに殆どの国がISDB-T方式となっています。南部アフリカでは、国々の連合組織(SADC:南部アフリカ開発共同体)が地デジへの移行期限を本年末とし、一部の国は欧州方式を採用しています。しかし、変換器が廉価で、ワンセグで携帯電話でも視聴でき、データ放送も使えるISDB-T方式の良さが次第に認識されています。我が国がブラジルと協力し、「日伯方式」としてPRを進めた結果、2月にボツワナが採用を決め、アンゴラ、コンゴ民主共和国、モザンビーク、ザンビアでも有望となっています。前任の森田政務官をはじめ総務省職員の数次の出張の努力を後押しし、我が国で6月1日(土)から開催されるTICAD-V(第5回アフリカ開発会議)に向けて、採用国を増やすべく、アンゴラでは情報通信省のロッシャ大臣、サフェッカ副大臣、国営放送のドス・サントス総裁等に面談し、お願いしました。アンゴラはISDB-T方式が技術的に優れていると評価しており、採否は周辺諸国の動向も勘案し、政治的に判断するとのことでした。
3日(水)にアンゴラを出て、再びヨハネスブルグに戻り、翌朝、プロペラ機に乗ること55分で隣国のボツワナに到着しました。ボツワナは、英国の植民地から1966年に独立し、人口は200万人程度ですが、ダイヤモンドを始め、鉱物資源に恵まれており、一人当たり国民所得もアフリカ内では上位に位置する落ち着いた国です。首都ハボロネは標高千メートルを超える高原にあり、丁度、季節も北半球とは逆に秋に入ったところで朝晩はしのぎやすく、南部アフリカといえども一事で言えない多様性があることを感じました。
既にISDB-T方式を採用頂いたことから、大統領府のマシシ公共政策担当大臣、情報通信省のモレフィ大臣等に御礼のご挨拶をし、今後の地デジへの切り替えに向けて、ブラジルも含め、三国で共同作業部会を立ち上げて取り組む旨、合意しました。特に、NHKの教育放送を参考に、教育分野での活用を図りたいとの意向であり、今後が楽しみです。両国とも、会談では我が国の2020年のオリンピック・パラリンピックの東京招致の取り組みに理解を求めるとともに、富山県ゆかりの「ドラえもん」の小さなぬいぐるみをプレゼントし、場の雰囲気がとても和みました。
5日(金)、ハボロネからヨハネスブルグ、香港と来た道を再び航空機で乗り継ぎ、6日(土)の夜、春の嵐より一足早く成田に無事戻ってきました。お世話いただいた在アンゴラの名井大使、在ボツワナの小林大使、在南アフリカの藤原参事官ほかスタッフの皆さん、同行の山口企画官、佐藤秘書官、内田専門職、関口事務官に御礼を申し述べ、出張報告とします。
また、アンゴラで昼食をはさんで懇談頂いた、「日本地雷処理を支援する会」の奈良さん、大工園さん、近藤さん、双日ルアンダ事務所の倉光さん、東さんの今後のご活躍をお祈り致します。
来週からは、またいつもの報告に戻ります。