先週23日(木)の森友学園籠池理事長の、衆参予算委員会での証人喚問で様々な波紋が生じた国会ですが、27日(月)の参議院本会議で新年度予算案が可決・成立し、今後は重要法案の審議に焦点を移して後半に入ります。復興庁の福島復興再生特措法の改正法案も、衆議院本会議での趣旨説明の順番が近づいています。福島県では、31日(金)に飯舘村、川俣町(山木屋地区)、浪江町、4月1日(土)に富岡町の避難指示解除準備区域及び居住制限区域の避難指示解除の予定で、福島第一原子力発電所事故からの復興も新たな局面に入ります。ふるさとへの帰還を希望されている方々に安心して戻って頂けるよう、商業・教育・医療・介護等の生活環境の整備を各省庁と連携して進めていかなくてはなりません。
先週末に話を戻し、24日(金)は宮城県東松島市の航空自衛隊松島基地を出張訪問し、ホヤの調理コンテストに出席しました。防衛省の皆さんには、先に陸上自衛隊多賀城駐屯地にてホヤ・カレーを給食に出して頂くなど、ホヤの消費拡大に積極的な応援を頂いています。宮城県の水産物の名産の一つであるホヤは、養殖が盛んで、大震災で落ち込んだものの水揚げは5千トン近くにまで戻り、全国一位となっています。しかし、キムチの原料として最大の輸入・消費地である韓国が原発事故以来、輸入を禁止しており、復興庁を含め我が国として科学的根拠に基づいて輸入再開を求めているものの未だ実現していません。このため、せっかく水揚げしたホヤを大量に廃棄する事態となっており、国内消費も伸ばす努力が求められています。そこで松島基地では、震災時も勤務しておられた時藤司令始め皆さんがホヤを生かしたメニューを開発・提案しようとコンテストを企画下さり、復興庁も招待頂いた次第です。調理を担当される隊員が、パスタ、焼きそば、ちらし寿司、ビビンバの4品を考案、料理され、東松島市長、松島町長始め参加者で審査の結果、ビビンバが優勝、ちらし寿司が次勝の結果でした。市の飲食店組合の組合長さんからは、レシピだけでなく調理法も伝授頂き、市内の店でもメニューに加えたいとのお話もありました。 続いて25日(土)には関西空港経由で和歌山県広川町に出張し、政府の「車座ふるさとトーク」を実施してきました。現場の方々と少人数での車座の対話を行い、内閣の政策に地域の声を反映させようという取り組みです。今回は国連の「世界津波の日」である11月5日の由来となった広川町にて、1854年の安政の大津波の記憶を百年以上にわたって伝承し、防災教育を息長く続けてこられた秘訣を伺いました。稲わらに火を放ち、津波から村民を守った「稲むらの火」の主人公、濱口梧陵翁は、災害時の避難のみならず、がれきを埋めて堤防を築くなどその後の村の復興に力を尽くし、開いた私塾(耐久社)は、町立耐久中学校、県立耐久高等学校として人材育成の場として今日に至っています。濱口翁に感謝する「津浪祭」が津波50周年の1903年から継続催行されていて、小学校6年生、中学校3年生を堤防への「土盛り」の主役にするなど、災害の記憶を後世代に伝える仕掛けがなされています。さらに、近年はたいまつを掲げて当時の避難場所であった広八幡社まで歩く「稲むらの火祭り」も催されています。トークに先立ち、西岡町長に町内を案内頂き、トークでは、町の教育長さん、稲むらの火の館の館長さん、耐久高校の先生・生徒、小学校の校長先生、語り部ボランティアの方々10名と地域の取り組みを語り合いました。東北の被災地では、大震災の記憶は未だ生々しいものがありますが、これを後代に末永く伝承していくうえで、広川町の皆さんの取り組みに学ぶ点は多々あると感じた次第です。