3月11日(月)、東日本大震災の発生から8周年の日は宮城県石巻市で追悼式典に出席しました。亡くなられた方々に哀悼の誠を捧げ、被害に遭われた方にお見舞いを申し上げ、これまで一歩ずつ進んできた復興の道程を踏まえ、未来に向けて努力を続けるべく、思いを新たにしました。
先週に戻って、8日(金)の朝、閣議に先立ち、官邸で復興推進会議が開催され、「「復興・創生期間」における東日本大震災からの復興の基本方針」の改定案が承認され、閣議決定されました。2年後の3月末に設置期限を迎える復興庁の後継組織については、「復興庁と同じような司令塔として各省庁の縦割りを排し、政治の責任とリーダーシップの下で」復興を成し遂げるための組織を置くこととされました。昼過ぎに、衆議院の東日本大震災復興特別委員会にて平成31年度予算案の概要を説明し、地元に戻りました。
9日(土)は、党砺波市連女性部総会と荒井公夫さんの叙勲祝賀会に出席の上、最終の新幹線で上京し、翌10日(日)ははやぶさ1号で宮城県に向かいました。出張先の宮城県では、石巻市の復興公営住宅4456戸の最後となる「市営新西前沼第3住宅」の完工式で祝辞を述べた後、亀山市長・木村議長にご案内頂いて、半島部・沿岸部を2年ぶりに訪ねました。まずは昼食を兼ねて牡鹿半島蛤浜のCafeはまぐり堂に立ち寄りました。ご主人の亀山貴一さんから、震災で奥様を亡くされた悲しみの中から、水産高校教諭を辞して浜を臨む実家でお店を開き、これをベースに漁業やジビエ料理など地域づくりの様々な活動に打ち込み、域外から若者を受け入れて頑張っておられるお話を伺いました。さらに、荻浜、鮎川浜と漁業集落の高台移転や観光拠点整備の進捗状況を確認し、さらに女川町を経由して雄勝に入りました。中心の伊勢畑地区でも、消防署出張所や交番も高台移転を終え、拠点施設の建設が進んでいました。一方、浜ごとに海辺の集落が移転した跡の「元地」が利活用されずに残っており、石巻市内では60か所以上にのぼるそうです。この日の最後は北上で、多くの児童が津波の犠牲になった市立大川小学校にて黙祷の後、海辺の長面地区の土地嵩上げ事業の進捗を確かめ、北上川を渡って高台に造成された拠点地域を訪れました。このように、石巻市の半島部・沿岸部でも復興事業が立ち上がり、あと2年間での完成を目指しています。
11日は前日の晴天とは変わって雨が降り続く中、東松島市の宮戸島・野蒜地区を渥美市長に同行頂き、韓国式トレッキング「オルレ」のコース、「移転元地」をKDDIエボルバ社に貸し出し、地域の障害者を雇用してミニトマト等を栽培する例、そして旧野蒜小学校を防災体験施設として再生させた例を見学しました。次いで、冒頭の追悼式典に参列し、16回目の出張を終えました。