国政報告(第682号)

 今年の梅雨はしっかり型のようで、先週から今週にかけても各地で線状降水帯の発生など激しい雨が降っています。富山県でも、白岩川の決壊により、東部の上市町、立山町で浸水による甚大な被害が発生しました。人的被害は無いとのことですが、官界の皆様にお見舞い申し上げ、早期復旧を念じます。

 3日(月)、4日(火)と、党東日本大震災復興加速化本部事務局長として、岩手県宮城県の地震・津波被災地域の現状把握の目的で出張しました。発災から12年が経過し、ハードの復興は終了し、人口減少、高齢化、サケ、カツオ、サンマの不漁など悪条件もある中で、志を持った住民・移住者の努力で各市町が個性を持って「復興から創生へ」と力強い歩みを続けていることを実感しました。

 初日朝、新幹線で新花巻駅に着き、復興事業で完成した高規格道路を使って山田町に入りました。佐藤町長に同行頂き、三陸やまだ漁協にて菊池組合長からサケに代わる魚種としてトラウトサーモンの海面養殖に取り組んでいる旨、伺いました。大槌町を経由し、釜石市で野田市長に、被害の大きかった鵜住居地区に追悼・伝承・交流機能を兼ねて整備された複合施設「うのすまい・トモス」を案内頂きました。周辺は、高台移転した小学校を始め、国道沿いの造成宅地にも住宅や商業施設が建ち、拠点性が回復している印象でした。

 令和3年に釜石市に移転した復興庁岩手復興局に立ち寄り、大船渡市を経由して、県南端の陸前高田市では、佐々木市長に同行頂き、高田松原津波復興祈念公園を訪れました。国・県・市が連携して整備された広大な広場空間では、6月に全国植樹祭が開催された由、松林の復活を目指し、カラマツが植えられていました。次いで、移転元地を活用してピーカンナッツの栽培に挑戦されている(株)サロンドロワイヤルの前内社長にお会いしました。大阪で創業された老舗の菓子店経営者ですが、復興に共感され、週一回陸前高田に通われているとのこと、熱い思いを伺いました。さらに、地元の皆さんが市外の業者も巻き込んで令和2年立ち上げた「発酵パークCAMOCY(カモシー)」にて、味噌・醤油製造の伝統を生かし、様々な食材の発酵にこだわった取り組みを聴きました。

 2日目朝は宮城県気仙沼市にて、菅原市長と大島のウェルカムターミナルで待ち合わせ、標高235mの亀山山頂に向かいました。道路が山頂手前までしかなく、震災で被災したリフトの復興の手法について、副大臣在任当時も市長から悩みを聞いていました。全国各地を調査し、検討を続けた結果、東京の飛鳥山にもあるモノレールを採用することとし、復興庁の助言も受け、地方創生拠点整備交付金の採択を目指す由。粘り強く議論され、良い結果を導かれたなと感銘を受けました。震災遺構の元県立気仙沼向洋高校校舎を活用した震災伝承館を案内頂いた後、南三陸町に入り、佐藤町長にお会いしました。平成29年にオープンした「南三陸さんさん商店街」はコロナウイルスの影響を耐えて、6年経った今も多くの観光客で賑わっており、昨年には隈研吾さんが設計された震災伝承施設も開館、今月末の「うみべの広場」の竣工で周囲の整備が一段落するとの事でした。震災後の支援で関係が深まった台湾との交流も徐々に再開し、多くの高校生を民泊・研修で受け入れており、滞在プログラムを工夫する町の観光協会が「Iターン」の方も含め、若い人材で活力を持って運営されていました。

 今回最後に訪れたのは石巻市です。平成の大合併で市域が広大となり、復興事業推進上も様々な課題があって、私も思い出の多い自治体です。最初に北上川河口から川沿いに内陸へ進み、震災遺構大川小学校を訪ねました。ここでは震災当時、津波の遡上により多くの児童と教職員が犠牲となっておられ、追悼と伝承の気持ちを深くしました。次いで、移転元地を活用してオランダ式のガラスハウスでトマト、パプリカを数百トン規模で通年に栽培、出荷されている(株)デ・リーフデ大川の鈴木社長からスマート農業実践の現状を説明頂きました。先進的な土地活用、雇用創出の取り組みには、他地域への展開可能性があると感じました。

 市中心部に進み、令和3年に移転した復興庁宮城復興局に立ち寄り、市役所で渡邊副市長他スタッフの皆さんから、毎年実施されている復興公営住宅入居者健康調査の結果と、要支援者へのサポートの現況について説明を受けました。心の問題をお持ちの入居者の割合は減少傾向にあるものの高水準であること、復興庁の被災者支援総合交付金を活用して「心のサポート拠点事業」を実施されていることなど伺いました。最後に震災遺構門脇小学校と国・県・市が連携して整備された石巻南浜津波復興祈念公園を訪ねました。6年前、公園の起工式に出席したことを思い起こし、震災の記憶と教訓を伝え継ぐ空間として新たな歩みを始めていることを実感しました。

 夕刻、高速道路で仙台に戻り、2日間の行程を終えましたが、10年間のハード面の復興事業の土台の上に、生業や心の復興に向けて、震災の記憶を胸に刻みながら日々前進されている首長、住民・移住者の皆さんの姿を4年ぶりに目の当たりにし、却って私が元気付けられる出張でした。見聞きしたことを、今後、計画している復興に関する政府への与党提言に生かしていきます。

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