3月2日(土)、通常国会は、衆院で新年度予算案を可決、参院に送付されました。憲法の「30日ルール」に基づき、参院で審議が終了しなくても、年度末の31日(日)には予算は成立し、新年度初日から執行が可能となります。国対の一員として安堵するものの、ここに至るまでの先週の動きは綱渡りでした。
我が党の一部派閥の政治資金の不記載問題に関し、予算委の審議と並行して、野党側から派閥幹部等の政治倫理審査会への出席を強く求められ、先々週末時点で5人の議員から申出書が提出されました。前号でも報告したとおり、2月26日(月)に政倫審幹事会が開催され、審査会開催に向け、条件整理に入りました。この段階で、野党側が審査会のメディアへの全面公開を主張したのに対し、申出人全員の同意が得られませんでした。審査会の規程上も申出人の意向を尊重することとされており、与野党協議は難航しました。
27日(火)午後、いったんは公開に同意する2人を先行して28日(水)に審査会を開催することでまとまりかけました。しかし、最終的にはこの2人も残りの議員と異なる取り扱いに応じることに難色を示し、審査会の開催を決められず、29日(木)の中央公聴会以降の予算審議の日程も合意できない事態となりました。
膠着した事態を動かしたのは、28日朝の岸田総理の「自ら全面公開の条件で審査会に出席し、説明する」との決断でした。与野党の交渉担当者にもサプライズとなった決断に、5人の議員も全面公開やむなしと態度を変え、29日(岸田、武田議員)、1日(金)(西村、松野、塩谷、高木議員)と審査会の開催に漕ぎ着けました。審査会幹事を務める私は、高木議員の弁明に対する質疑に立ちました。今回の事案は、派閥から個々の議員へのパーティ券売り上げのノルマ超過分の還付を、政治資金規正法に基づき政治団体間の資金の移動として記載することを怠ったものです。個々の議員側では還付分を収入として計上できず、結果として支出・留保金の明細も計上しなかったため、裏金として使途も自由だったのでは、との疑念を招く結果となりました。改めて、法を遵守することは、議員本人の身も守ること、故安倍元総理が派閥会長に就任された際に還付をやめるよう指示されたのに、逝去後、還付を継続した際、不記載の取り扱いを改めなかった責任が重いことなどを指摘しました。会計責任者が規正法をよく学ぶこと、議員本人もコンプライアンスを重視して事務所の運営に責任を持つことが必要な旨、申し述べました。
日程がずれ込んだため、予算案の処理は1日から2日に遅れ、京都で開催された全国山・鉾・屋台保存連合会理事会はリモート出席で容赦頂きました。以上の経緯は3日(日)に党南砺市井口支部総会に併せた国政報告にて披露しました。東日本大震災復興加速化本部の第12次提言など政策面の動きは次号に譲ります。