国政報告

国政報告(第479号)

 6月に入り、梅雨入り間近の空模様の下、通常国会は内閣提出案件の審議をほぼ終え、26日(水)の会期末に向けた道行きがメディアで取り沙汰されています。ともかく職務遂行あるのみです。

 先週末は富山に5月31日(金)の一泊だけで1日(土)午後には新幹線で大宮経由郡山から福島県に入り、2日(日)朝、浜通りの楢葉町のJヴィレッジで「第14回福島12市町村将来像に関する有識者検討会」に出席しました。この会議は、東京電力福島第一原発の事故で避難を余儀なくされた自治体を対象に、現況を把握しつつ将来像を描き、ロードマップに落とし込んでいくものです。渡辺大臣、浜田副大臣、内堀福島県知事、各市町村長も出席の下、座長の大西隆先生の進行で進められました。目標年次としてきた2020年を来年に控え、直近の大熊町の一部避難解除まで、一歩一歩進んできた各自治体の復興の現状と課題を踏まえ、今後の課題について意見交換しました。一番印象に残ったのは、住民の帰還が進んではいるものの、今後地域や産業を担っていく人材を域外にも求め、移住も含めて地域づくりを進めなければ、とのご意見でした。

 午後からは富岡町に開設された東京電力の廃炉資料館を見学し、事故当時の深い反省と今後への戒め、廃炉完遂への決意を感じ取りました。帰路は富岡駅から常磐線を使い、いわき駅から特急で帰京し、来春の富岡・浪江間の前線復旧に想いを馳せました。

 翌3日(月)は空路北海道(札幌)へ日帰り出張しました。2年ぶりに昔住んだ北の大地を訪れ、北海道NPOサポートセンターのお世話で、道内に福島県内から避難されている4人の方から経緯や今の想いを伺いました。改めてお一人お一人に、家族構成など特有の事情があり、生活の手立てを如何に確保するか、人間関係をどのように構築するか、故郷との関りをどうするか、ご苦労があり、悩ましい選択があり、深い思いがあることを身に染みて感じました。私なりに貴重なお話を受け止め、福島に帰還される方、避難した土地に住み続けていく方、それぞれに対応して必要な支援をしていく事が大切だと考えています。6月の北海道は、カラッとさわやかではあるものの今年は気温が高く、東京と変わらない体感でした。

 4日(火)は県のアンテナショップ「日本橋とやま館」の3周年のレセプションに出席、5日(水)朝は石井知事、中川県議会議長から新年度予算に向けての重点事項の説明を受けました。明日6日(木)は朝に富山県が事務局を務める「日本海沿岸地帯振興連盟総会」、夕刻は東京富山県人会連合会懇親のつどいに出席予定です。珍しく地元絡みの日程が続く今週ですが、「令和」と朝乃山関の優勝に沸く富山県の来年度予算に向けた取り組みなどしっかり応援していきます。

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国政報告(第478号)

 ここへ来て最高気温が30度を超える日も出て、先日までの肌寒さに比べ、梅雨入り前での変化の激しさに驚かされます。復興庁の仕事では「復興五輪」海外発信プロジェクト関連の仕事が続いています。24日(金)の夕刻はフィンランド大使館の国交樹立100周年記念レセプションに出席し、28日(火)は午後から宮城県に出張し、復興庁主催の在京大使館関係者の宮城ツアーの夕食懇談会で熊谷利府町長にも出席頂き、参加された方々の感想を伺いました。このツアーは岩手県、福島県でも順次予定しており、発災から8年余の被災地の現状に直に触れて頂き、復興五輪への機運の盛り上げや風評払拭につなげようとするものです。宮城へはアンゴラ、モルディブ、リトアニアの大使、アゼルバイジャン、スロバキア、ハイチの大使館スタッフに参加頂きましたが、復興の進捗への評価や、災害への対応策を母国で活かしたいとのコメントがありました。

 一方、25日(土)は富山で党県連の定期大会に出席したほか、県栄養士会党福野支部砺波支部大門支部の総会にも顔を出し、先の統一地方選の御礼と併せ、7月の参議院選挙へのお力添えをお願いしました。夕刻には大相撲夏場所14日目での県出身力士、朝乃山の幕内初優勝が決まり、各会場が大いに沸きました。最終のはくたかで上京し、26日(日)は在京当番で、米トランプ大統領の来日で警戒態勢が敷かれた都心で1日を過ごしました。

 28日の衆議院本会議では、内閣提出の「児童虐待防止対策の強化を図るための児童福祉法等の一部を改正する法律案」が、厚生労働委員会での与野党協議による一部修正を受け、全会一致で可決されました。重要法案について、十分な審議がなされ、各党の納得する形で子供たちの安全対策が強化されたことは喜ばしいことです。しかし、同日朝、川崎市多摩区の路上で登校中の児童・保護者の方々19人が殺傷され、うち2人が亡くなられる悲しい出来事がありました。理由無く無差別に危害を加える行為に憤りを感じ、被害に遭われた皆様にお悔やみとお見舞いを申し上げます。

 宮城出張の2日目となった29日(水)の朝は、仙台市で「みやぎ心のケアセンター」を訪問し、被災された方々の様々な心の問題を支援している活動の内容を伺いました。住宅など施設面では復興の進捗が見られる地震・津波被災地域でも、一人暮らしの高齢者や、生活にご苦労のある方など、精神面でのケアが必要なケースが残っており、複雑化する傾向にあるそうです。センターでは自治体の福祉・生活部局などと連携し、被災された皆さんが取り残されないよう相談、訪問、研修など多面的に活動されており、復興・創生期間(令和2年度末まで)を超えて国・県の支援を要望されています。前号では岩手出張について報告しましたが、今回も石巻市での亀山市長との意見交換を含め、「現場主義」の大切さを再確認しました。

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国政報告(第477号)

 通常国会の会期もあと1か月となり、内閣提出案件の審議も順調に進み、来週中には大方参議院に送付できる情勢です。この間、衆議院の解散・ダブル選挙について政府・与党首脳部の発言が相次ぎ、政治報道の中心を占めている感があります。私は、10月の消費税10%への引き上げは、ここまで準備が進んだ段階では実施すべきであり、国民に問うべき重要な政策変更が無い以上、解散は無いと考えます。復興副大臣の職責を務め切ることを第一に臨みます。

 渡辺大臣の主導で進めている在京大使館訪問活動(「復興五輪」海外発信プロジェクト)の一環として、週末の17日(金)はボツワナ20日(月)はシンガポール大使館に伺い、大使と面談しました。ボツワナは、総務大臣政務官を務めた折に、我が国の地上デジタル波放送の技術を採用頂き、2度訪問しています。シンガポールは以前から大使館職員と交流があり、昨年夏は予算委員会視察で訪れるなど、両国とも個人的にもご縁があり、大震災からの復興支援や農産物輸入規制の緩和(シンガポール)の御礼と併せ、被災地の復興の現状をお伝えする機会を得ました。

 地元では、18日(土)に党第三選挙区支部幹事会高橋高岡市長後援会総会、19日(日)に党福岡支部総会上平支部総会などに出席し、週明けの21-23日(火-木)は20回目の東北出張で岩手県・宮城県に伺いました。主要用務は、復興五輪の取り組みとして、21日午前に盛岡市で開催される予定だった「旧国立競技場炬火台除幕式・点火式」への出席でしたが、悪天候で行事が中止になりました。このため、午後、盛岡市で整備された県営災害公営住宅の見学から始め、復興支援道路として建設が進む宮古盛岡横断道路の新区界(くざかい)トンネルの工事現場に伺いました。昨年1月に貫通したトンネルの総延長は4,998mで、令和2年度予定の宮古盛岡横断道路整備完了時には、宮古~盛岡間の所要時間が約30分短縮されるそうです。三陸沿岸では、大槌町の浪板海岸の砂浜再生事業現場に立ち寄りました。翌日見学した釜石市の根浜海岸とともに、大震災前は白砂青松の海水浴場として賑わっていたのが、地震・津波で砂浜が消失し、復旧が強く要望されていたものです。関係者の努力で、復興・創生期間中に再生できる見込みです。

 山田町で宿泊し、22日は釜石市鵜住居で、野田市長にご案内頂き、駅前に整備された「うのすまい・トモス」で大震災の記憶や教訓を伝える「いのちをつなぐ未来館」を見学し、ラグビーワールドカップの試合会場となる「釜石鵜住居復興スタジアム」に立ち寄りました。午後は、岩手大学釜石キャンパスで水産システム学コース開設による復興支援の現状を伺い、陸前高田市に移動して、広田湾遊漁船組合の海中での飲料熟成のユニークな試みの説明を受けた後、戸羽市長・伊藤議長のご案内で区画整理後の土地の利用状況を確認しました。商業施設「アバッセたかた」周辺、高台の今泉地区とも、2年前に比べ、着実に建物が増えており、低地部の農地では今季から稲作が再開されるなど、復興・まちづくりの堅実な歩みを感じました。被災地の区画整理後の土地について、利用率の低さが指摘されることがありますが、インフラの整った街の中心部の土地は、将来に発展可能性を残すものでもあり、中長期的に息長く活用を図っていくべきと考えます。

 仙台市で一泊の後、23日午前は宮城県市長会の佐藤会長(塩釜市長)、伊藤副会長(大崎市長)から、応援職員派遣、復興庁後継組織、観光振興などについて市長会の要望を受けました。今回の出張では様々な事業箇所に立ち寄ることができ、これからの復興の取り組みに有益な情報を頂きました。これを糧に努力を続けます。

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国政報告(第476号)

 5月も半ばとなり、議員会館の窓外に見える銀杏並木の緑もいつしか濃くなってきました。先週の8日(水)には、高岡市立南星中学校、五位中学校の皆さんが修学旅行で国会見学に訪れました。9日(木)は、令和最初の衆議院本会議が開かれ、新陛下即位に対し、賀詞を奉呈することに全会一致で決しました。この日は、前日の富山県議会(組織議会)を終えて、党県連の新役員の皆さんも党本部等へ挨拶のために上京されました。統一地方選後の新体制で、引き続き宮腰会長を先頭に、7月の参議院選挙に勝利すべく決意を新たにしました。10日(金)も衆議院本会議があり、内閣提出案件の処理と併せて、「児童虐待防止対策の強化を図るための児童福祉法等の一部を改正する法律案」の趣旨説明・質疑を行いました。6月26日(水)の会期末に向けて後半国会が始動しています。

 11日(土)の在京当番を済ませ、12日(日)は朝一番の新幹線で富山駅に降り、党県連の常任顧問会議、支部長・幹事長会議堂故先生の参議院選挙事務所開きと日程をこなし、夕刻は党射水市大江支部総会に顔出しの後、地元の高岡市定塚校下連合自治会総会に出席しました。被災地を巡っていて大切に思われるのは、地域の住民の皆さんのコミュニティ組織の果たす役割です。平常時は当たり前の向こう三軒両隣のお付き合いが、仮設住宅への避難、恒久住宅への転居を通じて組み直しとなり、新しい顔触れで近所付き合いを始めていく事の大変さをつくづく感じます。「心のケア・復興」が最後まで大切だとされるゆえんです。そんな思いで、出席されている自治会長さん方に感謝の念をもってひと時を過ごしました。

 13日(月)からは永田町の毎日に戻っていますが、目を海外との関係に転じると、我が国を取り巻く情勢も慌ただしい変化の中にあります。日米間では、新たな貿易協定締結に向けた交渉が熱を帯びてきました。TPP、日EU・EPAと成果を挙げてきた我が国が米国とどのような水準で折り合うかが課題です。日中間は一時の冷え込んだ状況から平常モードに戻り、今後首脳の往来も期待されます。日露関係は、北方領土の扱いを巡って交渉の行方に予断を許さず、日韓関係は、慰安婦・旧朝鮮半島出身労働者問題の出口を見出すことが困難な状況で、東電福島第一原発の事故に起因する食品輸入規制の緩和も進んでいない現状です。日朝関係は、米朝交渉の推移の中で、北朝鮮が短距離ミサイル発射を再開する展開の中、首脳会談の可能性を探る現状です。かねてより日本と近隣の6か国の関係が外交の基本だと述べていますが、それぞれに目が離せない状況です。

 一方、東日本大震災からの復興についても、地震・津波地域のハードの完成、心や生業などソフト面の手当て、原子力災害地域の避難解除、帰還促進、風評払拭、福島第一原発の廃炉、汚染土壌の処理など課題は目白押しであり、解決に努力を続けます。

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国政報告(第475号)

 5月1日(水)をもって、新天皇陛下が即位され、平成から令和へと元号が変わって最初の国政報告をお届けします。3月、4月と東日本大震災からの復興についても、三陸鉄道の全線開通など明るいニュースが相次ぎました。これからが正念場の福島県でも、大熊町の大川原地区等が避難解除となり、全町避難は双葉町を残すのみとなりました。7日(火)には新庁舎も業務開始となる一方、復興庁福島復興局でも支所が南相馬から浪江へ、また、いわきから富岡へと旧避難区域に移転しました。令和の世の中でも、復興をさらに前進させるべく、渡辺大臣の掛け声の下、努力を続けます。

 さて、この十連休初日の4月27日(土)は、地元で党南砺市連利賀支部の総会に出席しました。折から「寒の戻り」で雪も舞う中、新元号にちなんで万葉集巻五の「梅花の宴」で詠まれた歌32首から1首紹介して挨拶させてもらいました。次いで28日(日)は小杉支部の総会に出席の後、新幹線で上京し、29日(月)は在京当番を務めました。30日(火)は、夕刻、皇居(松の間)にて「退位礼正殿の儀」に妻とともに参列しました。安倍総理のご挨拶に続き、現上皇陛下から、天皇陛下として最後のお言葉があり、国民の皆様への感謝の想いとともに、新たな御代が平和で実り多くあることを祈念する旨、ありがたく拝聴致しました。

 明けて5月1日は、前夜の雨も上がり、朝、再び皇居(松の間)に出向き、「即位後朝見の儀」に妻とともに参列しました。新陛下から、上皇陛下の歩みに深く思いを致し、憲法にのっとり日本国および日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓う旨、お言葉があり、清新な気持ちで拝聴しました。次いで、安倍総理から祝意のご挨拶がありました。この二つの宮中での行事は、認証官である副大臣も、大臣や衆参両院の議長・委員長等とともに出席の栄に与かる立場となり、歴史的瞬間に立ち会わせて頂ける機会を頂戴したこと、幸せに思っております。永く支援頂いている選挙区の皆様にも改めて感謝申し上げます。

 2日(木)は在京当番をこなし、3日(金)の朝に富山に戻って4日(土)は新元号に因んだ中西進高志の国文学館長の「万葉集とその未来」と題した記念講演を富山市にて拝聴しました。5日(日)は東京で連休3度目の在京当番、6日(月)は今一度富山で過ごし、十連休を終えました。実はこの間、ウイルス性の風邪(インフルエンザではありませんが)に見舞われ、発熱、下痢、咳、痰、鼻水に悩まされました。前半国会の疲れがまとまって出た感もありますが、健康管理の大切さを再認識し、今後、心していきます。

 7日(火)朝に上京し、復興庁、議員会館、国会議事堂等、いつもの毎日が戻ってきました。被災地の農林水産物の風評払拭など連休前からの課題への取り組みを含め、頑張っていきます。

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国政報告(第474号)

 桜から新緑へと富山の春も移り行く先週末、高岡市伏木地区にて久しぶりに3つの行事に参加しました。20日(土)朝、氣多神社の春季例祭に参列し、市立伏木小学校にて地元の偉人、藤井能三を偲ぶ「能三祭」にて献花・挨拶しました。明治維新の激動期に伏木の廻船問屋の若き当主として、県下最初の小学校、測候所、灯台の建設に尽力し、北前船から近代船へと移り変わる伏木港を支え、対岸交易による発展を期して開港を主張・実現させました。今年は伏木港開港120周年に当たり、改めて地域をリードした先人の事績の重みと、これを讃える行事を絶える事なく継承している小学校の児童と教職員・関係者の皆さんの「地域力」を痛感しました。

 翌21日(日)は、党高岡市連合支部総会の中座をお許し頂き、再び伏木で大伴家持卿献花祭に出席しました。家持卿は、新元号「令和」の出典となった太宰府での梅花の宴を主催した大伴旅人の子で、万葉集編集にも深く関わったとされています。越中国司としてこの地に赴任し、多くの歌を残した卿を偲び、有志の方々が大伴神社を創建され、春秋の祭礼を始めて30年余です。「継続は力なり」と言いますが、我が国の元号が初めて国書から採られ、県の高志の国文学館も高岡市の万葉歴史館も来館者が増えるなど、地道な取り組みが花開いた春になりました。

 22日(月)朝、新幹線で上京し、復興庁・議員会館・国会院内を行き来する毎日も、平成最終週を迎えました。通常国会も残り2か月となり、23日(火)、25日(木)と衆院本会議にて内閣提出議案の採決、参院送付が進んでいます。しかし、21日に投開票された衆院大阪12区と沖縄3区の補欠選挙では、我が党候補者がいずれも当選できず、最近の閣僚の辞任とともに、7月の参院選に向けて政府・与党の一層の精進が求められるものと思います。

 24日(水)、私が副大臣として議長を務める「復興五輪連絡調整会議」の第3回に合わせ、福島県に一日出張しました。県庁にて内堀知事、鈴木・井出副知事にご挨拶の後、福島大学を訪問し、復興推進委員である中田副学長から食農学類の新規設置や子どものメンタルヘルス支援事業推進室の取り組みについて説明頂きました。次いで川俣町に出向き、佐藤町長に同行頂いて、山木屋地区で農地管理・飼料作物耕作など農業再生に取り組む「ヒュッテファーム」の皆さんに現状を伺いました。また、「ふくしま森林再生事業」の現場で県農林水産部から間伐など事業の説明を受けました。復興五輪については、「復興の火」の展示やJヴィレッジからの聖火リレーの出発など、具体化が進んでいます。岩手・宮城・福島三県の取り組みも1年前イベントやホストタウンなど盛り上りが感じられ、私ども復興庁も応援していきます。御代替わりに伴う十連休もあり、次号は一週間休んで5月9日(木)頃でお願いします。

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国政報告(第473号)

 前回の報告を書き終えてから、週末にかけて東日本大震災からの復興にとって、「まさか」と思える困った事件が起きました。まず、10日(水)の夜、議員宿舎に戻ったところで知り合いの新聞記者さんから桜田五輪担当大臣がつい今しがた辞任したとの知らせを受けました。理由は、同僚議員のパーティでの「復興よりも同僚議員の方が大切」との発言と聞いて、言葉に詰まりました。思えば、復興に関わり、パーティでの発言で政務が辞任に至った例が2度ありました。当時、伊吹前衆議院議長が「六つの「た」」として、「多数の場での挨拶」や「たとえ話」は注意するように、と戒められたのを忘れた発言でした。当然、許されるものではなく、私ども復興庁としても、復興五輪を盛り上げようと被災地の皆さんに働きかけている立場も含め、深くお詫びするものです。安倍総理は改めて、全大臣が復興大臣との自覚をもって事に当たるよう指示されましたが、心していきます。

 次いで12日(金)朝、東京電力福島第一原発の事故に起因する我が国水産物に対する韓国の厳しい輸入規制措置について、我が国がWTO(世界貿易機構)に提訴していた案件の上級審の判断が明らかになりました。1審では、我が国から輸出される水産物の安全性が認定され、韓国の規制は国際ルールに照らし不当に厳しいものとの判断でした。しかし、上級審では1審の判断が維持されるだろうとの我が国の予想を裏切って、韓国の規制について、自国の国民の安全を守る立場から不当とは言えないとして1審の判断を破棄しました。WTOの判断としてはこれが最終となるため、我が国としては韓国の措置を国際ルール違反として撤廃を求めることができなくなりました。今後は韓国に対し、我が国の水産物が厳しい検査を経て放射線の面で安全であることを粘り強く説明し、韓国側が自主的判断として規制を撤廃するよう働きかけていかなければなりません。WTO勝訴による輸出の解禁を期待されていた水産業関係の皆様、とりわけ、三陸地方でホヤ(震災前はキムチの原料として韓国に大量に輸出されていました。)の養殖に励んでおられる方々を落胆させる結果となり、政府の一員として申し訳なく思います。折しも同日、「原子力災害による風評被害を含む影響への対策タスクフォース」が復興庁で開かれ、一日も早く輸出が再開できるよう、風評払拭に努めていく旨、一同決意を新たにしました。

 地元では、11日(木)に高岡市の大和百貨店が8月25日をもって閉店するとの発表がありました。全国的に百貨店の営業が厳しい情勢の下、残念ですがやむを得ない判断と受け止め、今後の空きスペースの活用など中心市街地への市当局の取り組みを応援していきます。厳しい「まさか」の事件が3件続いた今週、これを乗り越え、それぞれの政策目的実現に向かっての前進を誓うものです。

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国政報告(第472号)

 桜が見頃を過ぎたところで、強烈な寒の戻りで、今日(10日(水))は関東北部に雪かも、との予報が出ています。週末の統一地方選前半戦の投票日(7日(日))、富山県議会議員選挙では公認候補32名が当選、魚津・黒部の保守系無所属新人も加えると、同志が34議席を占める見込みです。第三選挙区内では、定数7に対し、6名を擁立した高岡市選挙区の行方が気がかりでしたが、渡辺・山本・川島・酒井・針山・瀬川の全員当選となり、ホッとしています。有権者の皆様の負託を受けた新たな布陣で、県政の更なる発展を願い、また、持ち場で努力して行きます。

 一方、国政では塚田国土交通副大臣兼復興副大臣が九州の集会での「忖度」発言で5日(金)に辞任、富山では富山市議会の政務活動費不正受給問題で4名が9日(火)に起訴されるなど、政治不信を招く事態も起きています。心して政治に臨んで行きます。

 復興庁では、6-7日(土-日)と気仙沼市に出張しました。宮城県沿岸15市町村の中でも石巻市と並んで復興に時間を要する地域でしたが、発災から8年を経過し、さすがに竣工する施設が増え、「住まい」については住宅の供給など完遂のメドが立っています。日曜の気仙沼大島大橋の開通式への出席に併せ、菅原市長ほか皆さんに案内頂いて事業個所を見て回りました。まずは、防潮堤の整備を巡り、住民との調整に時間をかけた大谷海岸です。人気の高かった白砂の海水浴場を残すため、堤を海岸線から後退させ、国道45号をその上に乗せ、背後地も堤の高さまでかさ上げすることで合意され、急ピッチで工事が進んでいました。次いで、3月に旧気仙沼向洋高校校舎を利用して開館した震災遺構・伝承館に伺いました。津波に襲われ、自動車が折り重なるようにひしゃげた姿など当時のままに保存されており、津波の映像や被災された方の想いなど視聴するうち、涙が流れ、改めて「復興の完遂」を自らに誓いました。市内で心の復興に取り組む「手招家(よってけ)」の菊田代表のお話を聴かせて頂いた後、内湾地区の商業施設鹿折地区の区画整理事業が完成した姿を確認しました。最後に外洋に面する唐桑半島で韓国発祥の自然体験トレッキングである宮城オルレの「気仙沼・唐桑コース」を見学しました。日曜朝は、高度衛生管理に対応して復旧・再整備された魚市場にも寄り、生業や街の再生を通じ、地方創生・交流拡大に意欲的に取り組む気仙沼を体感した2日間でした。

 大島大橋は、住民の皆さんの半世紀に渡る悲願を実現したものです。大震災の折には電気・水道が断絶し、津波のガレキでフェリーによる交通手段も途絶した経験もされただけに、開通式には事業主体である県の村井知事、浅野前知事はもとより、古賀誠先生、小野寺先生始め県選出国会議員など多数出席されていました。これからも、被災地の皆さんに喜んで頂ける復興を心掛けていきます。

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国政報告(第471号)

 ここの所の寒の戻りで開花し始めた桜も縮こまり、どうやら今週末のお花見が楽しめそうな気配です。年度初め、春本番の4月1日(月)、新元号が「令和」と発表されました。出典が万葉集とのこと、関わりを持つ身として驚きと嬉しさの混じった感覚で受け止めました。同僚議員からも「良かったね。」と声をかけてもらえました。全20巻、4516首のうち、巻5の大伴旅人(家持の父)」を中心とする大宰府の歌壇で詠まれた梅花の歌32首の序文の漢文から採られたものです。平安時代の勅撰和歌集とは異なり、漢文と和語の歌から成り立つ万葉集の特色を見事にとらえて出典とした事も機知に富んでいると思います。

 時は聖武天皇治下の天平2(730)年1月(旧暦)13日、場所は大宰帥たる旅人の居宅とはっきり記されています。岩波文庫の漢文の書き下し文によれば「時に初春の令(よ)き月、気淑(よ)く風和(なご)み、梅は鏡の前の粉を披(ひら)き、蘭は珮(はい~腰帯とそれに吊り下げた玉・金属器などの総称)の後の香(こう)を薫(かお)らす」とあり、良い時代、平和な時代であってほしいとの願いが込められています。背筋が伸びるような清新な響きがあり、国民の皆様の評価も良いようで何よりです。

 私は、国会での質問に際し、万葉集から一首朗じることを常としてきましたが、この梅花の歌32首のうち、829番「梅の花 咲きて散りなば 桜花 継ぎて咲くべく なりにてあらずや」を平成25年3月19日の衆議院総務委員会で紹介していました。当時は総務大臣政務官の立場で、現在は立憲民主党に所属されている小川淳也議員の質問にて一首を所望され、答弁で朗じたものです。今後も可能な範囲で、折々の万葉歌を披露していきたいと思います。

 先週末の3月30日(土)の朝、渡部・世耕・原田大臣ほか皆さんに同行して福島に出張し、18回目の「原子力災害からの福島復興再生協議会」に出席しました。内堀知事ほか福島側の出席者から、大震災・東電福島第一原発事故からの復興の現状を踏まえ、産業再生、鳥獣被害対策、風評対策、帰還困難地域対策など幅広くご意見を承りました。政府側として、復興庁の後継組織の検討を含め、積極的に対処していく旨回答しました。

 次いで富山に戻り、29日(金)に告示された県議会議員選挙の応援のため、31日(日)夜にかけて射水市・高岡市の同志8陣営の個人演説会でマイクを持ちました。1日に理容組合高岡支部の総会に出席した後、上京中の新幹線車内で冒頭の新元号のニュースに接しました。2日(火)は新年度最初の衆院本会議があり、予算成立で折り返し点を越えた今通常国会は、残る内閣提出案件の審議に入っています。月末には御代替わりを控え、慌ただしい中、復興庁の業務にも怠りなく取り組んでいこうと思います。

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国政報告(第470号)

 3月も最終週、東京では桜があちこちで咲き、富山からも開花のニュースが聞こえてきました。今日(27日(水))午後の参院本会議で新年度予算も成立の見通しで、29日(金)告示の県議会議員選挙を含め、政界は統一地方選モードに入ります。

 前号を綴った後、20日(水)夜に地元に戻り、23日(土)までの間、県議選に高岡市選挙区から立候補を決断してくれた瀬川市議の初動を支援するべく、関係市議に同行頂き、市南部地域を挨拶回りしました。平成21年夏の最初の総選挙並みに地域入りし、改めて地元の自然・地理・産業の多様さに目を開かさせられた思いがします。23日には堂故先生、米原先生、四方先生にも出席頂いて事務所開きに漕ぎ着け、後は4月7日(日)の投票日まで全力疾走でゴールを切るよう願っています。併せて市選挙区での同志6人の全員当選を至上命題に応援して参ります。21日には砺波市の米原先生、南砺市の安達さんの事務所開き、激励会にも顔を出しました。第三選挙区では射水・南砺・高岡の三選挙区が選挙戦の見込みです。

 22日(金)には伏木外港万葉埠頭にてバイオマス発電設備の建設工事の安全祈願祭に出席しました。我が国の必要電力量をどのような発電源から得るかは、原子力発電所の稼働が厳しくチェックされ、地球温暖化対策も進めなければならない中、難しい課題になっています。太陽光、風力、地熱、小水力発電と並んで、木質バイオマスも環境に優しいエネルギー源として注目されており、伏木港でのプロジェクトは、海外から森林認証を取得した木質ペレットを輸入し、5万kwの電力を地元の北陸電力に供給するものです。地域の皆さんのご理解を頂いて約300億円が投資される見込みであり、港湾の活性化が期待されます。

 23日の朝は恒例の南砺市井口地域の「椿まつり」の開会式に出席し、夕刻は元高岡市職員で四半世紀にわたり保護司として活動されてきた山本雅信さんの叙勲祝賀会に出席の後、深夜に上京し、24日は在京当番にて東京での日曜日となりました。

 週が明けて26日(火)には30年度最後の衆院本会議があり、法案3本を参院に可決・送付しました。参院でも年度内に成立が必要ないわゆる「日切れ法案」も無事処理できそうな情勢です。

 一方、東北では、23日に岩手県で大震災で不通となっていたJR山田線(宮古~釜石)が復旧し、三陸鉄道に移管されて久慈~盛間163kmのリアス線として開通しました。さらに、福島県で全町避難指示状態だった大熊町の大川原、中屋敷の2地区が4月10日(水)に避難解除されることで合意されました。被災地でも一歩づつハード施設が完成し、復興の歩みが前に進んでいます。新年度も、個々の課題の把握と解決に努め、復興・創生の実現に持ち場で努力を続けます。

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