国政報告

国政報告(第449号)

 猛暑、台風と激しい夏をもたらしたお天気も最近はすっかり秋らしくなり、東京も銀杏が次第に色づく毎日です。臨時国会も始まり、会館、議事堂、復興庁を行き来しながら仕事を進めています。

 先週末は18日(木)の夜に富山に戻り、19日(金)の朝、富山市で開かれた第26回全国消防操法大会の開会式に出席しました。各県代表の消防団の精鋭が集う本大会は、2年に一度、地方で開催されており、高野県消防協会長(現県議会議長)や県庁が誘致に努められました。私も党政調の総務部会長として、当時は各方面への要望に同行しており、県代表の砺波市消防団庄下分団がポンプ車の部で準優勝した事と併せ、嬉しい日でした。その後、南砺市に向かい、田中市長、武田県議ほか県・市の皆さんと金沢福光連絡道路の現道を実地で見学しました。福光地区から太美山地区・刀利ダムを経由し、金沢市の湯涌温泉近くへ抜ける本路線は、県境前後の幅員が狭く、冬季は通行止めとなる状態です。南砺・金沢両市の関係者が通年の往来を可能にするべく、バイパス等の整備を求めて長く運動を続けておられ、一度現状を確かめようと伺った次第です。刀利ダムから先は石川県・金沢市の関係部局に案内頂き、沿線自治会の皆さんにもお会いしました。まずは円滑な対面交通に資する退避場所の整備から進めるとする富山県の新方針を一歩前進と受け止め、粘り強く取り組んでいきます。夕刻には、県経済同友会例会にて北海道開発庁時代の上司の小磯修二さんが講師で来県され、地方創生をテーマとした講演を拝聴し、歓談の機会を得ました。

 20日(土)は翌日告示の氷見市議会議員選挙に我が党推薦で立候補予定の14陣営を堂故参議院議員、四方・薮田両県議とともに激励しました。21日(日)は高岡市吉久地区の「さまのこアート」の催しに顔出しの後、四方県議の後援会総会に出席、来春の県議選に向け、八嶋浩久氏へのバトンタッチが承認されました。

 22日(月)は早朝から宮城県へ2度目の出張となり、渡辺大臣に随行して名取市閖上地区東松島市野蒜地区女川町中心部石巻市門脇地区新蛇田地区と4市町を訪問、各首長に1年ぶりにお会いしました。いずれも住まいの復興が進展して最終段階を迎えており、新たなまちづくりへの意気込みを伺うことができました。石巻では、災害公営住宅で町内会づくりに取り組む皆さんのお話も聴き、コミュニティ再生支援の取り組みの必要性を確認しました。その後、大臣と別れて仙台に戻り、宮城県市長会の佐藤会長(塩竃市長)、菊地多賀城市長、大友角田市長のご要望を受けました。

 24日(水)に第197国会(臨時会)が召集されました。開会式後の安倍総理の所信表明演説では、「創造と可能性の地」としての東北を創り上げていく決意が述べられました。復興庁の一員として、その実現に努力していきます。

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国政報告(第448号)

 週明けの15-6日(月-火)と、復興副大臣着任後初めて宮城県を訪問しました。現場を訪ね、課題を把握し、解決に務めるという仕事の基本線で取り組んでいきます。

 先週末に復興庁で各担当の業務の現状について一通り説明を受け、12日(金)夜に富山に戻りました。13日(土)朝は高岡市吉久地区に㈱高岡市衛生公社が整備された「TEKリトルパーク」のオープニングに出席しました。万葉線㈱に残されていた、戦後間もなく活躍した5000系電車を引き取り、見事に修復、展示に至ったものです。この電車は、廃線されてしまったかつての射水線も通って、高岡と富山を往復していた花形です。現役を退いてからは除雪車として活用された後、廃車状態となっていました。朽ち果てさせるのは惜しいと関係者から声が上がっていた所、衛生公社さんにて引き受けられ、JR関係者の協力を得て昔の姿に戻して頂きました。併せて、公園の前面は道路の拡幅に協力され、吉久電停が安全な島式に整備されました。吉久地区の街並みが、国の重要伝統的建造物群の指定を目指している折、民間の力で地域に名所ができ、安全も確保されたことは嬉しく、感謝の挨拶をさせて頂きました。夕刻は、酒井県議の集会に出席し、来春の県議選に向けて皆で激励しました。

 14日(日)は新湊かにカニ白えび海鮮祭り陸上自衛隊富山駐屯地56周年記念式典国道471号利賀大橋竣工式など顔を出し、15日は大宮で北陸新幹線から東北新幹線に乗り換えての東北出張となりました。初日は宮城県南三陸町気仙沼市、2日目は仙台市亘理町利府町と庁舎を訪問し、村井知事始め各首長さん方にお会いしました。1年2か月ぶりの宮城県でしたが、この間に復興が着実に前進し、とりわけ仮設住宅に避難を余儀なくされている方が2千人台となるなど、「目に見えて」進んでいる事を実感しました。要望でも、復興庁の設置期限の平成32年度末以降の住民のケアや産業振興などソフト系の取り組みへの国の財政支援継続を求める声が強く出ました。三陸縦貫道路も南三陸町から気仙沼市へと供用区間が伸び、昨春に本設のオープンに立ち会わせて頂いた南三陸さんさん商店街の来店者数が早くも100万人を突破するなど、復興から新たなまちづくりへと前進する姿に感銘を受けました。一方、防潮堤などこれから工事を進捗させなければならない個所もあり、気を抜くことなく、事業全般の状況把握に努めたいと思います。「復興五輪」に向けては、サッカーの会場となる利府町から、県内市町村のPRブース設置の提案があり、大会運営上、許容されること、されないことのガイドラインを早期に示してほしいと要請を受けました。このように、被災地の現場から出てくる情報を庁内で共有し、対処していきます。

 臨時国会の24日(水)召集が確定しました。来週からは議事堂の中の動きも併せてお伝えしていきます。

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国政報告(第447号)

 本号からは、復興副大臣としての国政報告となります。まずは5日(金)に官邸で安倍総理ほか各閣僚がメンバーの第21回復興推進会議に出席しました。復興の現状が報告され、更に加速化に向けて努力することとされました。次いで復興庁にて土井前副大臣との新旧交代式に臨みました。昨年8月に渡したバトンを再び受け取ることとなり、土井前副大臣の尽力に感謝しつつ、各省庁に横串を刺す復興庁の機能を大いに発揮して頑張っていこうと、幹部職員の皆さんに挨拶しました。大伴家持卿が越中国司として赴任して最初に詠んだ歌、「秋の田の 穂向き見がてり 吾が背子が ふさ手折りける 女郎花(をみなえし)かも」を朗唱し、仕事に入りました。

 主担当となる宮城県など現地への出張は準備を整えて、ということで、5日夜に地元に戻り、6日(土)は高岡市伏木で恒例の大伴家持卿顕彰祭に参列し、29回目を迎えた万葉集全二十巻朗唱の会に参加するなど、万葉集一色の日になりました。家持卿は現在の宮城県多賀城市で生涯を終えており、菊地市長さんとは私の市長在任中からのお付き合いがあります。復興の仕事は家持卿のご縁とも感じています。心配された台風25号の影響もあまり大きくないまま、明けて7日(日)は射水市で県看護連盟の集会に出席し、来年夏の参議院選挙に比例区で再選を目指す石田昌弘参議院議員の講演を聴きました。看護師の皆さんの働き方改革について、具体的な例を挙げたお話が心に残りました。祝日の8日(月)は富山市で県私立幼稚園・認定子ども園大会税理士政治連盟の国政報告会に出席するなど、久しぶりに地元の空気をいっぱい吸い込みました。

 9日(火)朝に上京し、復興庁での所管事項説明が始まりました。昨年8月以来の動きをフォローし、党に戻っていた間の変化の把握に努めています。ハードの整備は着実に進んでおり、住まい・なりわいなどソフト面の課題も時間の経過に伴い変化しています。「新しい東北」という、創造的復興の実が挙がるよう、また、本格的復興の時期に入ったとされる福島での諸事業の進捗を図っていきます。この間、10日(水)には高岡市の高橋市長、狩野議長、11日(木)には南砺市福光南部地域の皆さんが激励に訪問下さり、元気を頂きました。また、10日夜には国土交通省富山県人会の集いがあり、綿貫先生、野上副長官、石井知事ほか県庁の皆さんとご一緒しました。東北地方整備局に復興事業の執行面で尽力頂いていることに御礼を述べました。

 一方、臨時国会は24日(水)召集の見込みとなり、政府では今夏の水害や北海道胆振東部地震への対応と学校の冷房設置・ブロック塀対策を主体とする補正予算の編成が進められています。私たちも、衆参の復興特別委員会での所信質疑への心積もりなど、国会での議論への準備を含め、仕事を進めていきます。

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国政報告(第446号)

 9月にほぼ一か月間滞在した沖縄県那覇市を台風24号接近に伴い、27日(木)の夜に空路出発し、佐喜真選対に詰めた毎日が終わり、候補の勝利をひたすら願って週末を過ごしました。しかし、30日(日)夜の開票結果は316千票を獲得したものの、相手候補に8万票の大差をつけられての厳しい敗北となりました。与党・維新支持層をがっちり固めて取り込む戦略は、「無党派層、女性、高齢者」へのアクセスが不足する結果となり、私自身も相手の運動の実態も捉えられない選挙戦となった点、猛省しています。元来、私たちを支持頂いている関係先ばかり接触・お願いしたため、そうでない立場の方に会うことがほぼ無く、相手方優勢との世論調査の結果も信じないままに投票日を迎えてしまったこと、悔やまれてなりません。同日選挙となった宜野湾市長選で、佐喜真氏後継の松川前副市長が当選したのがせめてものプラス要素でした。

 台風一過の10月1日(月)、出身校である富山県立高岡高校の創立120周年記念式典・関連事業に参加して、2日(火)に上京しました。同日発足した第4次安倍改造内閣では、宮腰県連会長が沖縄・北方ほか担当大臣として初入閣され、野上官房副長官が留任となりました。富山県選出国会議員の大臣就任は13年ぶりで、担当分野も一億総活躍、消費者行政、行政改革など多岐にわたり、縦横無尽のご活躍を期待する次第です。

 私自身は、今回の人事に当たり、国会対策委員会を第一希望として申告しましたが、3日(水)夕刻に菅官房長官から電話があり、復興副大臣への再任を要請され、即刻受諾しました。平成21年の初当選以来、人事については命に従うことを基本にしており、自分の頭の中を急遽沖縄から東北に切り替える事になりました。4日(木)朝10時15分に官邸に集合し、他の副大臣と一緒に皇居での認証式に臨みました。次いで、午後1時30分からの副大臣会議があり、復興庁へは1年2か月ぶりに午後4時30分に登庁、渡辺大臣から「総括・宮城・復興五輪担当」との指示書を頂き、昨年8月以来の「復興庁での毎日」がまた戻ってきました。

 東日本大震災から7年半が過ぎ、岩手・宮城の地震・津波被災地域では、ハード面での復興事業は「仕上げ」の局面にあります。前回、副大臣に就任した際に14万8千人を数えた避難者が5万7千人に減少し、岩手・宮城では仮設住宅の解消が着実に進んでいます。一方、東京電力福島第一原子力発電所の事故に起因する放射能汚染に見舞われた福島県では、浜通りの復興がようやく「本格化」する段階にあります。このような被災地の現状に鑑み、被災された方々に寄り添う「現場主義」を基本に、2021年3月の復興庁設置期限後の行政の在り方も考えながら、心新たに緊張感を持って任務に当たる決意です。引き続きよろしくお願い致します。

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国政報告(第445号)

 引き続き、沖縄県知事選の応援で那覇滞在が続き、今日(25日(火))はいったん東京に戻ったので、国政報告を綴っています。18日(火)に那覇に入り、20日(木)は総裁選の投票のため、日帰りで東京に出てきました。知事選は既に投票日まで後4日間を残すのみとなり、台風24号が28日(金)にも沖縄に影響しそうな気配で、終盤戦の様相です。

 総裁選は、安倍総裁が三選される結果となりましたが、私の応援した石破先生も党員票でほぼ45%の得票率と、事前の予想よりも善戦しました。都道府県別では、10県で安倍総裁を上回り、富山県もその中に入りました。沖縄駐在のため、私自身は全く運動できませんでしたが、地元では堂故参議院議員が頑張って下さり、私の事務所のスタッフなど関係者も努力頂いたお蔭で県内の党員投票に勝てました。皆様に厚く御礼申し上げます。県選出国会議員が東西で安倍・石破に3人ずつ分かれて臨みましたが、終わればノーサイドで安倍総裁の下、結束して政権運営に参画していきます。この総裁選を通じて、ある程度政策論争が展開でき、全通常国会で高まった国民の皆様の政治不信を幾らかでも和らげることができたものと思います。石破先生が立候補されたこと自体、我が党の幅の広さのアピールに資するものと考えます。この間、自民党の支持率が上昇し、新聞の政治面でも総裁選両候補の動静が連日詳しく報道されるなど、党勢の伸長に大いに寄与したと評価します。一方、石破先生が獲得した議員票は73票に留まり、3年後の挑戦に向けて、同僚議員の支持拡大が解決すべき課題となりました。

 沖縄県では、北は沖縄市、うるま市、名護市、南は糸満市、南城市、豊見城市と支部の激励や団体の集会への参加のために、沖縄自動車道等に乗って動き回り、ようやく土地勘が身に着きつつあります。9月下旬でも日中は30度を超え、東京・富山とは気候風土の異なる南国との印象を強く持ちます。この間、23日(日)は小泉議員が2度目の応援に駆け付けてくれたほか、竹下総務会長がほぼ連日常駐され、塩谷選挙対策委員長始め多くの国会議員に来援頂いています。24日(月)には富山県連から、米原、宮本、山本、奥野、川島の5県議と堀田女性部長が沖縄に入り、知人・企業を回ってくれました。佐喜真候補は真っ黒に日焼けし、疲れも見せずに精力的に活動されており、30日(日)の投票日には目的が達成できるよう選対本部も努力を続けています。

 さて、国政は総裁選を受けて来週(10月始め)には政府・党人事が予定され、10月後半には臨時国会が召集され、災害対策を含めた補正予算などが上程されるものと思います。外交も、日米、日露関係に進展が見られ、朝鮮半島の情勢も流動的です。次号からは新たな持ち場からの報告となる見込みです。

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国政報告(第444号)

 前号を綴った後、12日(水)朝、富山で実践倫理宏正会の式典に出席して富山空港から羽田経由で那覇に戻り、沖縄県知事選の応援活動に携わって17日(月)夜に東京に戻りました。明18日(火)からまた那覇に入ります。この間、13日(木)には知事選が告示され、17日間の選挙戦に突入しています。

 初日は朝7時、選挙事務所において必勝祈願の神事でスタートし、8時半からの出陣式で佐喜真淳候補を送り出しました。私自身も、候補者として選挙に臨む経験は積んできましたが、選挙事務所に毎日詰めて後方で支援するのは初めてです。改めて選挙活動が多くの支援者の協力で成り立っていることを痛感し、富山でお世話頂いてきた皆様のご苦労を想い、感謝しています。

 事務所への来客や党本部からの応援議員の応接や選挙活動の打ち合わせに始まり、沖縄県内の各所を訪問する毎日です。8月は富山も東京も暑く、かえって那覇の方が涼しく感じたこともありましたが、ここへ来て本州が秋めいてきたのに比べ、沖縄は日中の30度超えが普通で、「夏」が続いています。かりゆしを着て過ごすことが多くなりました。県内では、北は沖縄市やうるま市を通って名護市まで出向き、南も糸満市、南城市など土地勘が少しずつ身についてきました。復興副大臣として東北に通って地名を覚えたのと同じ感覚です。北部へ出向くと海も晴れるとエメラルド色に輝き、さすがはリゾート地だと実感します。今や観光客数がハワイを抜き、特に中国・韓国方面からのお客で那覇の国際通りなど中心部は連日盛況です。レンタカーが3万台以上走っており、交通渋滞が日常的に起きています。

 日本全体の景気上昇が沖縄にも波及し、有効求人倍率が1倍を超え、空路・クルーズ船による観光客入れ込みの盛況とITなど産業立地の進展で前進しつつある沖縄県。子どもの貧困対策、健康寿命の延伸、県民所得の引き上げ、普天間基地返還・日米地位協定改定など基地問題への対応など、様々な課題に向き合い、新たな未来を切り拓いていくリーダー役を是非、佐喜真さんに果たしてもらいたい、との思いで活動に携わっています。

 歌手の安室奈美恵さんの引退コンサートが宜野湾市で開かれた翌16日(日)、同期の小泉進次郎筆頭副幹事長が来援、那覇・浦添・豊見城の3か所で街頭演説してくれました。これまで様々な政治シーンで一緒に過ごす機会がありましたが、小泉議員の地方遊説に同行するのは初めてでした。各会場で当意即妙のアドリブを交え、聴衆と目線を合わせて共感を得る演説力に感銘を受けました。選挙戦は未だ序盤でこれからが気の抜けない頑張り所です。20日(木)は総裁選の投票に上京するものの、月末まで、知事選、宜野湾市長選のダブル勝利を目指し、南国で頑張ってきます。

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国政報告(第443号)

 沖縄県知事選の応援のため、那覇と東京・富山を往復するため、不定期な更新となります。前回は、北海道胆振東部地震の発災直後でしたが、その後、被害の全容が明らかになり、火山灰土壌の崩壊による山崩れ等で40人を超える方々がお亡くなりになりました。改めてご冥福をお祈り申し上げ、復旧への政府・地元の取り組みを応援して参ります。特に、北海道電力苫東厚真火力発電所の停止により、全道295万戸が一時停電となり、その後、復旧したものの電力供給量が不足する危険があり、計画停電発動の可能性が残っています。道電の泊原発が稼働していれば、ブラックアウトは防げたのでしょうが、残念ながら地層の性状が審査をクリアしておらず、厚真火力一か所に頼る電力供給システムが地震の影響をまともに受ける形となりました。泊原発に係る努力を含め、再発防止の取り組みが望まれます。今夏は水害も多発しており、全体として災害復旧のための補正予算編成が必要と思われます。

 地震への対策を優先し、7日(金)に立候補の届出を受け付けただけで運動が自粛されていた自民党総裁選は、10日(月)に安倍・石破両候補の演説会や共同記者会見が開かれました。私は沖縄駐在のため直に聴くことはできませんでしたが、今後、20日(木)の投票日まで、政策論議の深まりを期待しています。富山には石破候補が12日(水)に入る予定で、堂故先生にアテンド頂き、党員の皆さんに直接呼びかける機会となります。私は石破候補の推薦人となっており、皆様に支持をお願いしつつ、今後の党の前進に資する総裁選となるよう念じています。

 8日(土)に城岸一明前南砺市議会議員の叙勲祝賀会で祝辞を述べた後、新幹線・空路を乗り継いで深夜那覇に戻り、9日(日)から再び沖縄県知事選に向けて佐喜真候補の応援を続けています。9日は沖縄県内の多くの市町村で議員選挙があり、10日(月)から県知事選・宜野湾市長選に向けてムードが高まってきました。私も名護市、読谷村の支援企業にお願いに出向き、夜は宜野湾市での総決起大会に参加しました。自民党の二階幹事長、公明党の山口代表、日本維新の会の馬場幹事長が激励に駆け付け、松川宜野湾市長候補、翁長那覇市長候補、宜保豊見城市長候補も登壇し、佐喜真候補の必勝に向けて気勢を上げました。

 沖縄が1972年に日本に復帰して50年に近づきます。この間の先人の大変なご苦労によって、今日、145万人県民の生活・産業基盤の整備が進み、農水産業はもとより観光やIT関連産業などに発展する可能性が高まっています。基地負担の軽減も含め、沖縄の将来を切り拓くリーダーとして、人情味と芯の強さを備え、首長経験も積んだ佐喜真氏が最適と信じ、30日(日)の投票日まで、那覇に軸足を置いてしっかり応援を続けていきます。

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国政報告(第442号)

 本6日(木)早暁に発生した北海道胆振東部地震は、厚真町で震度7を記録するなど、道央地方に大きな被害をもたらし、行方不明者の捜索が続いています。4日(火)の台風21号による関西空港など近畿地方の被災に続く自然災害で、政府も対応に追われています。明7日(金)スタートの総裁選も3日間は活動自粛となり、電気などライフラインの復旧に全力で取り組まれています。お亡くなりになった方のご冥福をお祈りし、被災された皆様にお見舞いを申し上げ、先週来の活動を報告します。

 先月31日(金)に日帰りで高岡に入り、渡辺守人県議の来春の県議選出馬表明に立ち会った後、深夜に東京に戻り、1日(土)の早朝、空路沖縄に向かいました。早速、那覇市中心部に設置された事務所をベースに、30日(日)が投票日の県知事選に向けた活動に加わりました。1~2日(日)と菅官房長官を囲む集会に同席し、佐喜真候補予定者への支持を訴えました。2日午後は、中北部の名護、うるま、沖縄、浦添各市の支部事務所を回り、3日(月)夕刻には佐喜真氏の政策発表記者会見に立ち会いました。4日朝、事務所に二階幹事長が来訪され、佐喜真氏に党推薦証が交付されました。午後には竹下総務会長が到着され、私たち3人の副幹事長と党職員を束ねて陣頭指揮を取る体制が動き出しました。次いで5日(水)に塩谷選挙対策委員長が沖縄入りされ、私はいったん東京に戻りました。13日(木)の告示日まで後1週間と慌ただしい活動日程ですが、週明けから事務所の出入りも活発になり、自民・公明・維新の会三党の協力で佐喜真氏の知名度アップに全力で当たっています。

 東京で迎えた本6日は、地震の被害を心配しながら、朝は町村会館で全国町村会の荒木会長、金森会長代行(舟橋村長)始め役員の皆さんと町村の振興を考える会(山口俊一代議士が会長)との懇談会に出席しました。来年度予算に向けての要望を受けて意見交換し、出席者からは、多発する自然災害の復旧費を賄う財源を税として別途確保してはとの提案もありました。午後は、党本部でグローバルクラウドサービス小委員会が開催され、事務局長として司会を務めました。今春、インターネット上で漫画本が無料で読める違法サイトが脚光を浴び、著作権を侵害することから出版業界等から対策を強く求められ、児童ポルノと同様にサイトを閲覧できなくする「ブロッキング」をしては、との提案がなされています。一方、「通信の秘密保持」の立場からは、安易にブロッキング対象サイトを拡大していくことに懸念が示されており、小委員会では政府における検討状況を聴取しました。政府の設けた検討チームに参加されている有識者もお招きし、アクセス警告、フィルタリングなど総合的な対策を迅速に実施することが先決との認識を共有したところです。

 地震のため、総裁選の動きは次号に譲ります。

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国政報告(第441号)

 8月も下旬となり、さしもの酷暑も、ようやく富山でも雨が降るようになり、少しは和らいできたようです。24日(金)に衆院予算委員会の東南アジア視察から日本に戻り、沖縄へ日帰りした後、25日(土)には富山に戻り、退職公務員連盟県支部総会や、高岡市の「よこた夏のカーニバル」で挨拶をさせて頂きました。夜は富山市にて「若手有志の会」で国政報告と題し、この9年間の活動を振り返るお話をしました。

 翌26日(日)は朝方南砺市利賀に出向いて、SCOTの鈴木忠志さんのトークを聴きました。夕刻は、小矢部市福町の恵比須様の神事に参列した後、南砺市旧福光町部の後援会で激励頂きました。27日(月)に上京、28日(火)夜に再び富山に戻って永森直人県議の来春の県議選出馬表明に立ち会いました。29日(水)はお祖母さんが高岡市にお住いの野中厚農林水産大臣政務官(衆議院議員)をお迎えして、第948回、第949回の「自民党ふるさと対話集会」を高岡商工ビル伏木勝興寺にて開催しました。市街化区域内で水田を耕作している方々から、後継者、用排水路の管理、税負担等、直面している問題について率直なご意見を頂き、畑地や園芸作物を耕作する場合との違いについて認識を深めたところです。

 29日夜に再度上京し、月末の次年度予算概算要求締め切りを控え、各省庁の要求内容の説明を受けています。この間、28日の副幹事長会議で、9月30日(日)施行の沖縄県知事選挙の応援にて現地常駐を正式に命じられました。私の現役職は、党選挙対策委員会と党政調沖縄振興調査会の事務局長の兼任となっており、県知事に立候補した佐喜真前宜野湾市長とも5年来のお付き合いです。それ故に、同じく副幹事長と選挙対策委員会副委員長を兼ねる宮内秀樹、田中英之両代議士と3人での現地駐在は当然の使命と心得、勝利に向けて全力で努力してまいります。既に、17日(金)、24日と那覇に2度伺い、運動方針の打ち合わせに参加し、陣営の事務所開きに立ち会いました。大変厳しい選挙戦が想定されますが、重心を低くして結果を出すよう頑張ります。様々な苦難に直面しながらも、沖縄の発展に心血を注いで来られた先人の皆様に感謝しつつ、今日から明日へと県土を前進させていく旗振り役として最適任の佐喜真さんの人となり、政策が有権者の皆様に浸透し、より多くの共感を得られるよう、持ち場で努めます。まずは、9月1日(土)早朝、沖縄に向かいます。当面、国政報告は不定期となること、ご容赦下さい。

 概算要求に関し、北陸新幹線の敦賀以西のルート調査費や利賀ダムの工事費など、地元の要望に沿って取り組んで頂けています。冷房設備を含む学校整備予算など、地元要望の強い分野にも目配りして参ります。総裁選については次号にて報告します。

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国政報告(第440号)

 前号の後、お盆の一週間の後、19日(日)から予算委員会の海外視察で、河村委員長ほか8名で、ラオス、ベトナム、シンガポールと、東南アジアの国々のそれぞれの現況を肌で感じてきました。その前の一週間は、13日(月)に金沢市役所で金沢福光連絡道路期成同盟会に出席し、15日(水)は例年通り、県民会館での戦没者追悼式馳先生ゆかりの小矢部市興法寺でのふるさとトークにて馳浩・笠井亮・山田俊雄の3議員と語り合いました。18日(土)に東海北陸自動車道全線開通10周年を記念した第3回名古屋・高岡野球交流戦の開会式で挨拶して上京、海外出張となりました。

 まずは、羽田空港からバンコクへ飛び、飛行機を乗り継いでラオスの首都ビエンチャンに19日夕刻に着きました。日本の3分の2の面積に人口650万人の国民が居住する内陸国で、空から見た第一印象は緑豊かな緩やかな平地にメコン川や支流がゆったりと蛇行して流れ、農地と家屋が点在するのどかな風景でした。もっとも、首都は市街地が拡がり、交通も渋滞していましたが、10階を超える高層ビルが1、2ある程度でした。トンルン首相ケントン友好議員連盟会長(前駐日ラオス大使)ほか政府関係者と面談し、日系企業の皆さんと懇談し、八代英太元参議院議員が中心となった日本のNPO法人が現地の障がい者の自立を応援されている「みんなのカフェ」を訪問しました。成長率は7%で、水力発電で得た電気の輸出を進めるラオスですが、先月の豪雨により北部で建設中のダムが決壊するという思わぬ災害もありお見舞いを申し上げました。

 20日(月)夜には空路ハノイに入り、人口9千万人を超え、日本企業の進出も顕著なべトナムで、車とオートバイの洪水に驚きながらフック首相チン友好議員連盟会長ズン国家財政予算委員会副委員長との面談に臨みました。日越関係はTPP11など経済面を中心に近年急速に発展しており、特にベトナムから我が国への技能実習生は中国を抜いて12万人に達しています。現在の日本の深刻な労働力不足を背景に、滞在期間を3年から5年に延長し、対象職種を拡大する一方、不適切な就労を防ぐ努力が政府においてなされています。ここでも日系企業の皆さんと懇談したほか、日本の高専教育を導入・実践しているフックイエン商工短大を訪問しました。最新の機械で金属部品政策の実習に取り組む学生の皆さんを目にし、経済成長が軌道に乗る環境下で若い世代の国民が真摯に頑張っている姿が、「ベトナムの活力」として強く印象に残りました。

 22日(水)夜にシンガポールに入りました。私にとっては22年ぶりの訪問でしたが、東京23区の面積に、永住権を持つ国民350万人、外国人150万人が生活するアジアのハブ都市として、上旬に訪問した中国の上海と肩を並べる発展ぶりを確認しました。チャン貿易産業大臣、ザキー人材開発担当国務大臣、イスタン北東アジア議連副会長、リン国会副議長、日系企業の皆さんとの懇談のほか、USJ・博物館・水族館・会議場・ホテル・カジノからなるセントーサ島の統合型リゾート(IR)の施設も見学しました。都市国家として人流・物流の中継点として発展著しいシンガポールですが、出生率が日本を下回っていて、少子高齢化への対応は今後の大きな課題となりそうです。

 出張でお世話になった内外の関係者の方々に感謝しつつ、1月に訪れたインドネシア、先に訪問した中国と併せ、アジアの国々の現下の発展ぶりと未来に向けた活力に、我が国としても学ぶべき所が多いとの感想です。24日(金)早朝、羽田空港に戻り、そのまま党務で那覇へ一日出張となりました。選挙対策委員会事務局長としての沖縄県知事選への対応については次号に譲ります。

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