国政報告

国政報告(第379号)

 ゴールデン・ウィークが終わり、早くも梅雨の走りのような雨模様の日もある東京ですが、国会審議も動き出し、10日(水)には参議院の東日本大震災復興特別委員会にて福島特措法の審査を終え、可決されて12日(金)の本会議に上程されることになりました。復興庁も吉野新大臣のもとで仕事を軌道に乗せていきます。なお、福島県浪江町の帰還困難区域の十万山で発生した山火事は、発生12日目の10日に鎮火に至りました。乾燥した天候が続いた事も災いし、75haの森林が焼失、また、連休中にもかかわらず消火活動に携わられた消防・自衛隊の皆様にもお見舞い申し上げます。

 さて、連休中の4日(木)、南砺市城端にて全国山・鉾・屋台保存連合会の全国大会が催され、文化庁の宮田長官ご出席の下、昨年12月にユネスコ無形文化遺産に登録された33団体それぞれに認定書が交付されました。私は会長職を仰せつかっているのですが、副大臣在任中は職務執行を久喜会長代行(秩父市長)にお願いしているため、交流会のみ出席しましたが、念願の登録実現で大いに盛り上がる大会となりました。石井知事、高橋高岡市長、村椿魚津市長始め県内関係者に出席頂き、地元の田中南砺市長、大西実行委員長、河合常則先生、岩田元城端町町長など皆様の心温まるおもてなしに会員一同感謝しています。残雪がうっすらと残る南砺の山々に抱かれた「越中の小京都」、城端の街に絢爛な屋台とともに情緒豊かな庵唄が響いた夜の風情は、全国各地からの参加者の良き思い出となりました。

 6日(土)に上京し、7日(日)の在京当番を務めて週明けを迎えました。国会は、8-9日(月-火)に衆参の予算委員会の集中審議があり、今村前大臣の辞任に伴う混乱は収拾され、10日の法案採決に至りました。一方、組織犯罪処罰法案を審議している衆院法務委員会で提出された鈴木委員長の解任決議案は、9日夕刻の本会議で否決され、12日(金)から審議再開の予定です。来週には天皇陛下御退位の特例法案も内閣から提出される見込みで、会期末まで5週間余となった現在、まずは各法案の審議を着実に進め努力を積み重ねる時期と思います。

 東北とは別案件ですが、10日朝には党の沖縄振興調査会・美ら島(ちゅらしま)議連の合同会議があり、議連の一員として出席しました。来年度予算に向け、6月に作成される骨太方針に、沖縄県として盛り込むべき事項について翁長知事から要望があり、その中で懸案となっていた米軍から返還された西普天間地区への県立普天間高校の移転について、前向きに検討する旨、表明がありました。昨年まで調査会事務局長として取り組んでいた課題に前進が見られ、政治に携わらせて頂いている者としての幸せを感じた瞬間でした。そんな思いを東北の復興でも持てるよう、精進して行きます。

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国政報告(第378号)

 暦ではゴールデン・ウィークの後半5連休の最中で、富山からの報告となります。先月29日(土)に福島県浪江町の十万山で発生した山火事が、帰還困難区域ということもあって5日目に入り、地元の皆さんや自衛隊ヘリも加わっての消火活動が続いています。お見舞い申し上げ、鎮火を念じています。なお、福島県によれば、付近の放射線量の値には大きな変化が無い由、報道の通りです。

 前号で記したように先月26日(水)に吉野新大臣が就任され、27日(木)に宮城・福島、1日(月)に岩手の県知事にご挨拶に出向き、1日と2日(火)で宮古市から名取市まで、三陸沿岸の被災地を視察しました。2日には安倍総理も南三陸町から合流され、新体制の始動を後押し頂きました。一方、28日(金)には、衆参の復興特別委員会が開催され、前日の大臣の所信的挨拶を受けての質疑が2時間づつ行われました。同日、延び延びとなっていた本会議も両院で開会し、法案の処理を進めることができました。これで復興庁が原因となって停滞していた各委員会の審議が正常化したものの、2日の衆院法務委員会で委員長解任決議案が出て、連休明けの本会議で処理される予定です。波乱が大きくならなければ、8日(月)、9日(火)の衆参予算委員会での集中審議の後、参院復興特委で、福島復興再生特措法改正案の審議が再開される見込みであり、今度こそ成立するよう努力していきます。

 私の業務としては、29日に宮城県に出張し、「震災遺構仙台市立荒浜小学校」の開所式内覧会に出席しました。荒浜地区では地震・津波で180人余の方が亡くなられ、地区の防災拠点であった小学校では児童や住民320人余の方が避難し、翌日までに救助されました。校舎の一階、二階には津波が押し寄せた痕跡が残り、ベランダのコンクリートが巻き上がったままになっています。当時、廊下に自動車がひしゃげて押し込まれた写真もあり、津波の威力を伝えています。四階には震災前の小学校の様子や、800世帯が暮らしていた地区のジオラマが展示されており、移転を余儀なくされた地域の皆さんの思い出が詰められています。震災の恐ろしさと防災・避難の大切さを後世に伝える震災遺構は、写真・映像を含めて被災地各地で整備が進められており、復興庁も支援しています。

 仙台駅を12時半に出発し、東北新幹線・北陸新幹線と大宮経由で乗り継いで、新高岡駅には16時過ぎに到着し、夕刻、高岡市福岡町で川島県議の後援会の場で復興の現状と課題について講演する機会を頂きました。午前中に荒浜地区で見聞きしたことをそのまま富山の皆さんに伝えることができ、東北の今を知り、想いを寄せて頂く手掛かりになってくれれば幸いです。

 30日(日)に再び上京し、1日は在京当番で高岡の御車山祭の巡行を見ることはかないませんでしたが、2日から6日(土)までは富山で過ごす予定で、南砺市城端で開催される「全国山・鉾・屋台保存連合会総会」の交流会に参加するなど、連休明けの業務再開に備えて充電します。

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国政報告(第377号)

 25日(火)夕刻、自民党二階派のパーティ前の講演会で今村前大臣が東日本大震災は「まだ東北で、あっちの方だったから良かった」という不適切な発言をし、26日(水)朝に辞任する事態となりました。ご苦労されている被災地の皆様を傷つけたこと、復興庁の一員として、また政務三役の一人として深くお詫び申し上げます。新たに、被災者であり、被災地の福島県5区選出の吉野正芳大臣が着任され、27日(木)には衆参の復興特別委員会で所信挨拶がありました。改めて、復興庁の使命を自覚し、新大臣の下、努力して参ります。

 先週末に話を戻して、21日(金)の午後、内閣官房アイヌ政策推進会議の第31回政策推進作業部会が開催され、出席しました。推進会議の座長である菅官房長官の下で、座長代理に指名された旨、ご挨拶させて頂きました。アイヌ政策は、私が以前勤務していた北海道開発庁が担当していた歴史があり、ご縁を感じています。現在、2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて北海道白老町ポロト湖畔に国立アイヌ民族博物館と国立民族共生公園からなる「民族共生象徴空間」を整備する計画が進められており、作業部会ではその具体的な内容が議論されています。さらに、アイヌの人々の意見を踏まえつつ、総合的かつ効果的なアイヌ政策の推進のため、職責を果たしていきます。

 地元に戻って、22日(土)は大伴家持卿生誕1300年を記念する茶会と、恒例の献花祭に出席の後、高岡オフィス・パークにて株式会社能作の新社屋竣工パーティに、遠路お越し頂いた石破前地方創生相ほか皆さんとご一緒しました。次いで23日(日)は射水神社の春の例祭射水市小杉地区の第3回黒河たけのこ祭り二上射水神社の築山神事党射水市連七美支部総会と行事が続きました。最後は慶友会総会にて、川村会長ほか皆様に最近の活動報告を聴いて頂きました。大震災からの復興に一丸となって頑張っておられる東北の皆さんに、地域づくりの点で学ぶ所が多いことを述べました。

 皆様の激励を糧に、24日(月)に上京し、復興庁の目下の課題である福島復興再生措置法改正案の成立に向け、26日には参院復興特委での質疑・採決が予定されるところまで漕ぎ着けていました。その挙句、25日夕刻からの冒頭の事態で、26日の国会は衆参とも丸一日空転し、27日の吉野大臣の所信聴取でようやく正常化に向けた流れとなってきました。法案審議が連休明けにずれ込むなど、思いも拠らぬ展開で、他の委員会の運営にも迷惑をかけ、申し訳なく思っています。この間、党の衆参国会対策委員会や民進党部門会議に出向いてのお詫びもさせて頂きました。慌ただしく動き回っていた26日、南砺市立福野中学校3年生の皆さんが、就学旅行の一環で国会を訪問してくれ、若々しい生徒さんから元気を頂きました。連休で英気を養い、再び復興の仕事に努力を続けていきます。

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国政報告(第376号)

 今週の東京は急に気温が上がり、萌える緑の勢いも増して、初夏へと向かう風情です。19日(水)には党南砺市井口支部の背戸川支部長ほか一行の皆さんが上京され、激励頂きましたが、天候にも恵まれて良かったです。

 先週13日(木)にいったん不正常になった衆議院ですが、14日(金)には本会議を開くに至り、復興庁提出の福島復興再生特措法改正案は可決、参議院送付されました。法務委員会では19日(水)に組織犯罪処罰法案が審議入りし、天皇陛下御退位の特例法案も来月後半に国会提出される旨、報道されており、6月18日(日)の会期末に向けた流れもだんだん鮮明になってきています。14日の午後は参議院の東日本大震災復興特別委員会にて大臣所信の質疑があり、19日に本会議で福島特措法の趣旨説明・質疑を済ませ、21日(金)からは委員会質疑に入る見込みです。

 法案の衆議院通過を受けた先週末は、地元日程も少なく、自宅で鋭気を養わせて頂いて17日(月)朝、臨時かがやき536号にて上京しました。今国会では、近年審議に遅れの目立った決算をしっかり取り扱おうというコンセンサスがあり、4年度分を貯めていた衆議院も、18日(火)の本会議にて平成24・25年度分の承認手続きを終えました。両院とも毎週月曜に決算審議を促進させる方針で、17日午後には参議院の委員会での27年度決算審査のため、今村大臣に随行、出席しました。

 復興庁の決算は、災害からの復旧・復興という仕事の性格上、予算作成段階では事業費を大きめに見積もり、不測の事態に備える結果、どうしても翌年度への繰越額や不用額が大きくなりがちです。会計検査院もこの性格は理解されながら、発災から時間が経過するにつれて、執行実績を基礎により正確な見積もりに努めるとともに、自治体の事業執行が滞らぬように打ち合わせを密に行うよう求めています。岩手・宮城県では、一部自治体を除き、来春で「住まいの復興」をほぼ達成する見込みであり、「復興・創生期間(平成28-32年度)」の終期を意識して防潮堤などの事業執行と基金の的確な使用に心がけて行かなければなりません。併せて、平成32年度を超えて対処が必要となることが確実な福島県の原子力発電所事故被災地域における事業継続のための財源構築も意識していく時期だと考えています。これらを含め、復興を巡る様々な論点・課題について、国会での審議も踏まえ、対処していきます。

 19日には衆議院小選挙区の新しい区割り案(0増6減、6県で選挙区1づつ減)が政府の「区割り審」から総理に勧告されました。「一票の格差」を巡る様々な議論と最高裁の度重なる判決を受け、衆議院小選挙区では一票の格差を2倍以内とする原則の下、今後は国勢調査の結果を下にアダムズ方式で機械的に定数を増減させていく事が立法府で決められており、その第一歩となります。段階を踏む改革の在り方に疑問を呈する報道もありますが、私は、立法府として司法府の判断を尊重しながら現実的対応を見出してきたプロセスを評価しています。一方、参議院の選挙区の県を超えた合区については、司法府の判断に従うわけには行かず、憲法改正によって都道府県単位の新たな原則を打ち立てるべきだと考えています。これは勿論、政府の一員としてではなく、一議員としての思いです。

 衆議院の任期も来年12月まであと1年半余り、新たな区割りでの選挙が十分想定される中、与えられた職務に励んで参ります。

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国政報告(第375号)

 東京はそろそろ桜から若葉の季節へと進み始めました。通常国会は6日(木)に衆議院本会議で組織犯罪処罰法案の趣旨説明・質疑が行われ、後半国会の重要法案が審議入りとなりました。復興庁提出の福島復興再生特措法改正案も6日、11日(火)と東日本大震災復興特別委員会での審議を終え、附帯決議を付けて可決され、本13日(木)の本会議で参議院に送付される見込みです。

 この間、4日(火)閣議後の定例記者会見で今村復興大臣が記者の度重なる質問に感情的になられ、発言が誤解を招く事態となり、お詫びされる事態が生じました。記者とのやり取りの詳細や、大臣のお詫び、釈明については報道されている通りです。3月31日(金)から1日(土)にかけて、福島県浜通りの浪江町、富岡町、川俣町、飯館村の一部について避難指示が解除されました。週末の8日(土)には安倍総理も現地へ出向かれた折、原子力発電所事故の影響でご苦労されている皆様のそれぞれの実情に寄り添い、丁寧に対応していくことが内閣の基本方針であることを改めて肝に銘じて業務に当たっていかなくては、と思います。除染やインフラ復旧で、故郷に帰りたいと思う方々の願いが一日も早く実現するように努力するとともに、帰れない方々、帰りたくない方々の判断やお気持ちも尊重し、状況に応じて支援していくことが、あってはならない原発事故についての国の「社会的責任」というのが、立法府・行政府の立場です。大臣の発言については、総理からもお詫び頂きました。私自身も緊張感を持って臨んでいきます。

 さて、週末の8日(土)は、翌日告示の砺波市議会議員選挙に我が党の推薦を受けて出馬する方々の陣営の激励に回り、夜は南砺市城端支部の総会に出席しました。来る5月4日(木)には、昨年冬にユネスコの無形遺産に登録された33の祭屋台行事の団体で構成する「全国山・鉾・屋台保存連合会」の大会が城端で開催される予定で、盛況が期待されます。9日(日)は富山市長選の森市長の出陣式に出席し、最終の新幹線で上京しました。次いで、10日(月)の衆院決算委員会分科会、11日の衆院復興特別委員会と国会対応が続き、14日(金)には参院の復興特別委員会で所信質疑が予定され、来週は参院で福島法改正案の審議が始まる見込みなど、しばらくは復興庁として国会対応が続きます。質疑を通じて議員の皆さんから頂く様々な指摘には、今後の施策の構築に有益な内容も多く、被災地の訪問と併せ、しっかり対応していきたいものです。

 12日(水)午後には、香港経済貿易代表部のシェーリー・ヨン首席代表を訪問し、福島県など5県の農林水産物の輸入禁止措置の見直しと東北地方への観光促進のお願いをしてきました。風評払拭の取り組みは、国内のみならず海外諸国に対しても粘り強く続けられています。外務省や農林水産省の取り組みを復興庁としても後押ししています。ちょうど昨日はカタールが輸入制限措置の撤廃を発表しました。香港は、我が国農林水産物の第一位の輸出先でもあり、科学的事実に基づいた規制措置の見直しを要請しました。引き続き、ハード・ソフト様々な分野での東北復興の取り組みに当たっていきます。

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国政報告(第374号)

 新年度が始まり、東京の桜は満開、富山も今週末当たりから見頃かな、と思います。週末は寒気が入り、1日(土)に在京当番明けで富山に向かう新幹線の車窓から軽井沢の雪化粧が見えました。

 2日(日)は久しぶりに地元で過ごす日曜でしたが、第三選挙区支部の幹事会憲法勉強会支部女性部総会と復興についての講演小矢部政経連合会発会に際しての講演と、日程が続き、とりわけ一日のうちに三回、違った話題で講演するという経験は初めてでした。

 今年は戦後に日本国憲法が施行されてちょうど70周年です。この間一度も改正されることなく今日を迎えており、文体も未だに旧仮名遣いのままです。国民主権、平和主義、基本的人権の尊重という現行憲法の三つの柱は変えることなく、内外の状況の変化に合わせた改正を行うべきであり、また、不断に内容を吟味し、折々に改正すべき点はその手続きを取るべきというのが我が党の基本的な考え方です。講演では憲法改正の論点として、自衛隊と積極的平和主義の位置づけ、プライバシーや環境保全など新たな人権、一票の格差問題などを取り上げ、問題提起しました。とりわけ選挙制度については、憲法に規定がないために有権者の人口のみが裁判所の判断基準となっており、直近の参議院選挙では、島根県と鳥取県、徳島県と高知県が合区されてしまいました。私は参議院の選挙区を都道府県単位とする旨を憲法に書き込むべきという立場であり、2年後に参議院選挙を控えているだけに改正を急ぐべきと思います。

 支部女性部の皆さんには東日本大震災からの復興の取り組みの現状と課題を聴いて頂きました。パワーポイントを用い、被災当時と今日を対比した写真や、生活と生業の再生に関するデータを示しました。富山県でも多くの方がこれまで被災地に気持ちを寄せてくださり、様々な支援活動も行われてきました。発災から6年、原子力発電所事故により、未だ非難を余儀なくされている福島県浜通りの皆様をはじめ、被災地の実情に引き続き心を寄せて頂き、復興に力強く取り組んでおられる姿を応援頂くようお願いしました。会場からは利賀地域の今冬の地すべりの経験を踏まえ、東北を想う発言を頂き、嬉しく思いました。

 小矢部では、市が北陸線石動駅の南北自由通路を整備し、駅舎に図書館を組み込んで、中心部の賑わいを創出しようとしていて、民間側でも何かプロジェクトを起こして一緒に街づくりを進めたいとの思いをベースに政経連合会の発会となりました。講演では、国の地方創生や都市整備の支援メニューを紹介し、併せて東北で震災を乗り越えて、新しい製品やサービスを開発したり、まちづくりを進めたりしている元気な事例を挙げて、エールを送りました。

 充実した週末を終えて、3日(月)に上京し、4日(火)の衆議院本会議で福島再生復興特措法の趣旨説明、審議入りとなり、6日(木)には委員会質疑が3時間行われました。次回は来週11日(火)の予定です。4日の夜には24度目の東北出張で、仙台に前乗りし、5日(水)に名取市の山田市長を訪問し、閖上地区の整備方針をまとめて頂いたことに御礼を申し上げました。被災地の課題を一つづつ解決し、一歩一歩前進させていくことを心掛け、新年度も努力していきます。

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国政報告(第373号)

 先週23日(木)の森友学園籠池理事長の、衆参予算委員会での証人喚問で様々な波紋が生じた国会ですが、27日(月)の参議院本会議で新年度予算案が可決・成立し、今後は重要法案の審議に焦点を移して後半に入ります。復興庁の福島復興再生特措法の改正法案も、衆議院本会議での趣旨説明の順番が近づいています。福島県では、31日(金)に飯舘村、川俣町(山木屋地区)、浪江町、4月1日(土)に富岡町の避難指示解除準備区域及び居住制限区域の避難指示解除の予定で、福島第一原子力発電所事故からの復興も新たな局面に入ります。ふるさとへの帰還を希望されている方々に安心して戻って頂けるよう、商業・教育・医療・介護等の生活環境の整備を各省庁と連携して進めていかなくてはなりません。

 先週末に話を戻し、24日(金)は宮城県東松島市の航空自衛隊松島基地を出張訪問し、ホヤの調理コンテストに出席しました。防衛省の皆さんには、先に陸上自衛隊多賀城駐屯地にてホヤ・カレーを給食に出して頂くなど、ホヤの消費拡大に積極的な応援を頂いています。宮城県の水産物の名産の一つであるホヤは、養殖が盛んで、大震災で落ち込んだものの水揚げは5千トン近くにまで戻り、全国一位となっています。しかし、キムチの原料として最大の輸入・消費地である韓国が原発事故以来、輸入を禁止しており、復興庁を含め我が国として科学的根拠に基づいて輸入再開を求めているものの未だ実現していません。このため、せっかく水揚げしたホヤを大量に廃棄する事態となっており、国内消費も伸ばす努力が求められています。そこで松島基地では、震災時も勤務しておられた時藤司令始め皆さんがホヤを生かしたメニューを開発・提案しようとコンテストを企画下さり、復興庁も招待頂いた次第です。調理を担当される隊員が、パスタ、焼きそば、ちらし寿司、ビビンバの4品を考案、料理され、東松島市長、松島町長始め参加者で審査の結果、ビビンバが優勝、ちらし寿司が次勝の結果でした。市の飲食店組合の組合長さんからは、レシピだけでなく調理法も伝授頂き、市内の店でもメニューに加えたいとのお話もありました。 続いて25日(土)には関西空港経由で和歌山県広川町に出張し、政府の「車座ふるさとトーク」を実施してきました。現場の方々と少人数での車座の対話を行い、内閣の政策に地域の声を反映させようという取り組みです。今回は国連の「世界津波の日」である11月5日の由来となった広川町にて、1854年の安政の大津波の記憶を百年以上にわたって伝承し、防災教育を息長く続けてこられた秘訣を伺いました。稲わらに火を放ち、津波から村民を守った「稲むらの火」の主人公、濱口梧陵翁は、災害時の避難のみならず、がれきを埋めて堤防を築くなどその後の村の復興に力を尽くし、開いた私塾(耐久社)は、町立耐久中学校、県立耐久高等学校として人材育成の場として今日に至っています。濱口翁に感謝する「津浪祭」が津波50周年の1903年から継続催行されていて、小学校6年生、中学校3年生を堤防への「土盛り」の主役にするなど、災害の記憶を後世代に伝える仕掛けがなされています。さらに、近年はたいまつを掲げて当時の避難場所であった広八幡社まで歩く「稲むらの火祭り」も催されています。トークに先立ち、西岡町長に町内を案内頂き、トークでは、町の教育長さん、稲むらの火の館の館長さん、耐久高校の先生・生徒、小学校の校長先生、語り部ボランティアの方々10名と地域の取り組みを語り合いました。東北の被災地では、大震災の記憶は未だ生々しいものがありますが、これを後代に末永く伝承していくうえで、広川町の皆さんの取り組みに学ぶ点は多々あると感じた次第です。

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国政報告(第372号)

 東京は昨21日(火)に桜の開花宣言があり、春分を過ぎて明るさを増す陽射しとともに春本番というところです。通常国会は参議院での新年度予算審議が大詰めとなる中、大阪の森友学園の国有地購入に端を発した問題が、先週16日(水)の籠池理事長の安倍総理側からの寄付を受けたとの発言を受け、明23日(木)に衆参の予算委員会で証人喚問を行う事態となりました。総理側は調査の結果、事実ではないとされており、喚問を経て事態がすっきりするよう願っています。一方、その他の内閣提出案件も逐次審議が進んでおり、国会全体としては着実に前進していると見ています。復興庁でも福島復興再生特措法の改正法案を提出しており、本会議での趣旨説明の順番待ちの状態です。

 先週末の土日祝の三日間は、在京当番と東北出張で富山へ戻れず、前倒しして16日、打ち合わせを兼ねて一泊往復しました。今週も地元入りは難しく、代理出席が続くこと、ご容赦下さい。19日(日)朝の東北新幹線で仙台に向かい、石巻市にて「石巻南浜津波復興祈念公園」の起工式に出席しました。被災三県に一か所づつ、国・県・市が一体となって大震災の犠牲者を追悼し、被災の記憶を後世に伝える公園施設を整備するものです。隣接する門脇(かどのわき)地区の「まちびらき」も行われ、発災6年を超えて街が前進していく節目の日となりました。午後からは牡鹿半島の漁業集落の復興状況を見て回りました。入りくんだ湾の奥に漁港施設と元の集落があり、津波被害を避けるため、住居は高台を切り開いて移転させ、防潮堤で守られた平地は生業の場とする形での復興が各所で進められていました。ちょうど住居の移転整備が済んで、移転元地の平地のかさ上げがこれからという段階の箇所が大勢で、復興を実感するまでには「もうひと頑張り」の印象でした。石巻湾から北はリアス式海岸の奥や潟・浦にて水産物の養殖が盛んであり、牡蠣、銀鮭、ワカメ、ホヤなどの生け簀が至る所に広がっている豊かな水域です。水産業の担い手育成のために全国から若者を募り、世話をする地元民間団体も生まれています。牡鹿地域の中心となる鮎川、そして翌20日(月・祝)に訪ねた雄勝、北上と、石巻市では中心部とは別に三つの拠点を生活と生業を支える機能を集積させた場として早急に整備したい考えです。このため、4月からは市役所に半島復興事業部を設け、事業の促進を図る旨、亀山市長、菅原副市長、丹野議長、大森副議長ほか皆さんのお話を伺いました。

 石巻市は平成17年に石巻、牡鹿、雄勝、河北、河南、北上、桃生の1市6町が合併し、555km²の広がりを持っており、個々の課題に対応される市職員の皆さんのご苦労は並ではないものと察します。また、旧河北地域の大川小学校で被災、亡くなられた方々を始め、皆様に改めてお悔やみを申し上げます。

 2日間の出張は天候に恵まれ、三陸沖の太平洋は穏やかな水面がコバルト・ブルーに輝き続けていました。南三陸町にて三陸縦貫道路の南三陸海岸インターチェンジの開通式典でお祝いを申し述べ、佐藤町長や、雄勝の廃校を活用して複合体験施設の運営に乗り出しているモリウミアスの油井代表の元気な姿を思い浮かべつつ、復興の取り組みへの想いを深く新たにして、帰京しました。

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国政報告(第371号)

 東日本大震災から6周年を迎えた3月11日(土)、復興庁を代表して宮城県に出張し、県庁で献花の上多賀城市の追悼式に出席しました。復興庁では、宮城県の各自治体の追悼式に担当副大臣が順次出席する事となっており、今年は多賀城市に伺った次第です。私が市長を務めた高岡市とは、万葉集の歌人、大伴家持卿の終焉の地として以前から市役所やロータリー・クラブ間の交流があり、菊地市長とも十年来のお付き合いで、震災発生の翌4月にはお見舞いに出向いたご縁もあります。復興事業は災害公営住宅が全て完成し、土地区画整理事業も間もなく土地引き渡しになるなど、ハード面は順調に進捗しています。とはいえ、市民で亡くなられた方が156名、住家被害が11,855世帯に上るなど、甚大な被害をうけておられ、14時46分から1分間の黙祷に思いを深く新たにしました。

 夕刻に新幹線で仙台から盛岡に移動し、翌12日(日)は東京から出向かれた安倍総理に地元の鈴木俊一代議士とともに随行し、三陸沿岸の宮古市(山本市長)と岩泉町(伊達町長)を訪問しました。まず、宮古市立第一中学校の卒業式に出席し、震災当時小学校3年生だった生徒の皆さんが苦難を乗り越えて成長し、学び舎を巣立つに際し、総理から激励の言葉を贈られました。ついで生徒の皆さんが、被災地である福島県南相馬市立小高中学校で作られた合唱曲「群青」を歌い、皆で「宮古のため、岩手のため、日本のために頑張ろう!」と決意のこぶしを挙げました。私にとって、卒業式に立ち会うのは、市長時代以来の出来事でしたが、生徒の皆さんの凛々しさ、「頑張ろう」の音頭を取ってくれた応援団長の女子生徒の万感溢れる涙など、心洗われる時間となりました。

 ついで、市内の田老地区に移動し、震災遺構として修復・保存された旧「たろう観光ホテル」にて、津波の映像を視聴しながら、当日の厳しい状況を松本社長ほか皆さんから伺いました。さらに、昨年夏の台風10号で大きな被害を受けた岩泉町にて、復旧を終え、19日(日)から公開を再開する運びとなった龍泉洞を一足先に見学しました。自慢の地底湖の蒼く澄んだ水面が戻ってきていました。安倍総理から、改めて「東北の復興無くして日本の再生無し」との初心で復興にあたっていく決意を報道陣に述べられ、発災7年目の復興庁の取り組みがスタートしました。

 この間、新聞・テレビでも被災地の現状と課題を様々な角度から取り上げて頂き、風化を防ぐ効果があったと感じています。また、10日(金)夕刻、官邸で原子力災害対策本部会合が開かれ、福島県浪江町、富岡町の避難指示解除準備区域・居住制限区域の避難指示をそれぞれ3月31日(金)、4月1日(土)に解除する旨、正式に決定されました。浜通りの復興も新たな段階に入ります。

 15日(水)には、外務省の飯倉別館でアジア大洋州大使会議のレセプションがあり、未だに我が国農林水産物に対し厳しい輸入規制を続けている国々に駐箚されている大使の皆さんに、復興副大臣として規制緩和に向けての一層の支援を要請しました。内外の風評払拭にも、一歩一歩取り組んでいきます。

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国政報告(第370号)

 平成23年3月11日、金曜日の午後2時46分、東日本大震災が発生、強い地震、大津波、そして福島第一原子力発電所の冷却機能が失われ、放射性物質が周囲に飛散する事態となりました。それから丸6年、11日(土)が目前に迫っています。改めて震災でお亡くなりなった方々のご冥福をお祈りし、ここまで復興に努力してこられた被災地の皆様のご苦労を想い、今仰せつかっている職責を通じ、事態を少しでも前進させるよう努力する決意です。

 通常国会は新年度予算案の審議が参議院に移り、2日(木)には衆議院で東日本大震災復興特別委員会が開かれ、今村大臣の所信と新年度予算の概要を聴取頂き、9日(木)に4時間の質疑が行われました。私も、復興事業の執行促進、観光対策、福島・浜通りの医療・介護環境の再構築について復興庁の取り組みを答弁しました。10日(金)には参議院の特別委員会もスタートし、この後は福島復興再生特措法改正案の審議・成立を目指します。

 3日(金)、就任後20回目の被災地への出張は、宮城県南三陸町の「さんさん商店街」のオープニング式典となりました。震災後街の商店主の皆さんが住民を元気づけようといち早く「市」を立ち上げ、仮設の施設に移って運営を続けられました。被災地復興の歩みを全国に発信するシンボル的な役割を果たし、地域外から応援に来られる方々にも大いに親しまれた商店街が、新たに盛り土・整備された町の中心部に本設・オープンの運びとなりました。町の復興をリードして来られた佐藤町長、商店街をまとめる三浦社長始め多くの方々の笑顔あふれる中、早春の日射しの下でのテープカットにご一緒できて光栄でした。施設の設計は、地元でも富山市の「キラリ」や高岡市の「金屋楽市」でお世話になった建築家の隈研吾先生で、南三陸町の良質なスギをふんだんに取り入れた人に優しい環境となっていました。末永い商売繁盛を祈念して帰京しました。

 4日(土)は桜井小矢部市長の後援会に顔出しするなど地元で過ごし、5日(日)は東京で自由民主党の党大会に出席しました。再度政権を担当させて頂いて5年目に入った安倍総裁の演説は、4年間の着実な成果の上に、「日本を取り戻す」という初心を忘れず、憲法改正等の困難な課題にも粘り強く取り組む決意を力強く述べるものでした。震災復興の取り組みも、一日一日の進展は牛の歩みのようですが、6年間の歳月は決して無ではなく、現地の皆さんの努力をしっかり支え、明るい未来に向かい頑張らねばと思いました。

 7日(火)には台湾の与党、民進党の徐団長一行が来庁され、長沢副大臣とともに、復興の現状を説明し、この間の台湾からの支援に御礼申し上げながら、我が国農林水産物に対する輸入禁止等の規制措置の見直しを要請しました。国内外の風評被害の払拭も一朝一夕に解決できずとも、腰を据えて取り組むべき重要課題です。

 明日11日は宮城県多賀城市での発災6周年の追悼式典に伺う予定です。心新たに復興庁での職務に取り組んで行きます。

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